3.ケース41.エドワーズ空軍基地,1957年5月3日
時として,UFOは写真の専門家の前に現れることがある.彼らは普通の人より素早く速く反応でき,確実に写真をものにできる人たちである.
そういう事例が,1957年5月3日,エドワーズ空軍基地で発生した.私はその写真を見た3人を探したが,そのうち2人に会って話を聞くことができた.UFOを目撃,撮影に成功したジェームズ・D.ビティックとジョン・R.ゲティス・Jr.ある.
当時,彼らはテスト区域であるアスカニアでカメラマンをしていた.午前8時少し前に彼らはエドワーズ空軍基地のアスカニア第4サイトに着いてすぐ,ドーム型のUFOを目撃した.彼らはすぐにテスト区域責任者のフランク・E.ベイカー(私は彼にもインタビューした)に連絡し,アスカニア地区に,他にカメラマンが配置されていないか訊ねた.もしいれば,三角測量が可能だからだ.
しかし,他の区域には誰もいなかったので,ベイカーは手持ちのカメラで撮影するよう彼らに指示し,物体が遠ざかるまでにかなりの枚数の写真を撮影できた.ビディックによると,最初に目撃したとき,物体は500ヤードと離れていなかったが,1枚目を撮影したときは1マイルほど離れたところにいた.
彼とゲティスはどちらも,その物体は金色で,ひっくり返した皿の上にドームを載せたような形をしていて,ドームの周囲には穴かパネルのようなものが見えたと話していた.ビディックはその穴は四角だったと述べているが,ゲティスは丸かったと述べている.
物体は彼らから遠ざかっていて,自ら光っているように見え,ぼんやりそのまわりがハローのように光っていた,と2人は話してくれた.はっきりした撮影枚数は不明だが,ゲティスによると30枚ぐらいだったそうである.その物体は5マイルくらい離れて視界から消え,再び姿を現さなかった.
彼らは車で基地へ戻り,すぐに現像した.近距離で撮影した写真は,周辺部分はぼやけていたが,中心部分はとても鮮明に写っていた,と3人は明言した.ドームやマーキングあるいは開口部まで写っていたと証言している.
その写真はまもなく基地の関係部局に渡され,彼らは再び目にすることはなかった.その後ビティックとカーソンは,砂漠の大気の影響で壊れた気象観測気球を見たのだと告げられた.彼らはよく気象観測用気球の放出を目撃しており,その外観はわかっていたので,その説明には納得できなかった,と話している.
この出来事は地方紙に掲載され通信社も配信した44).ロスアンゼルスタイムズは,エドワーズ空軍基地のスポークスマンの「砂漠では信じられないことが起こる」という発言を紹介している.また,INS通信は「エドワーズ空軍基地の情報将校は……その事件に関してほとんど何も述べなかった」と配信している.
考察
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