2.目撃証言の特徴
私が行ったインタビューについて,情報を提供してくれたUFO研究団体のメンバーらと議論してきたが,私は彼らと同じ認識であることがわかった.よく取り上げられる問題であるが,一般の人から視直径,仰角,角度変位等の情報を得るのは非常にむずかしいこと,同時目撃者の物体の描写が一致しないこと,機器を用いない観測の扱いにくさ等に,彼らも直面していたのである.
UFO目撃者はたいていは目撃を公表したがらないこともよく知られている.目撃者は,常識では考えられない物体を目撃したことを公表するのを,強く拒む傾向が見られる.
私がインタビューした1947年の事例は,最近出版されたブローチャーの重要な文献8)でも触れられているが,そのインタビューの際に,私は次のことを初めてはっきり認識するようになった.つまりこのような目撃者の態度は,1947年以降に浸透したUFOへの嘲笑が原因ではなく,異常なことや説明がつかないものは信用しない,あるいは,この目で見たものであっても,常識では考えられないものは話したがらないからであった.
科学者たちは,宇宙船説にすぐに飛びつく一般の人の態度を非科学的と軽蔑しているが,彼らはUFOの目撃者から話を聞こうともしない.彼らの態度はUFO信者の態度の裏返しにすぎないのである.
オーストラリアでのインタビュー調査では,目撃者は知り合いに頭がおかしくなったと思われたくないので,目撃について話すことに不安を抱いていることがわかった.現代の科学的価値観が世の中を支配している他国の研究者たちも,同様の目撃者の傾向に直面しているという.
UFOの目撃者が興奮しやすい人たちばかりだということもない.1952年当時,空軍情報部長であったジョン・A.サムフォード少将は,ペンタゴンでの記者会見で次のように語った.
「信頼できる人たちが,信じがたいものを目撃している」
私も彼の意見に賛成である.
私がインタビューした目撃者は売名目的で証言したにちがいない,という非難は間違っている.また,冷静さに欠けるという非難もあたらない.異常な大気現象を見てすぐに“宇宙船”説に飛びつく連中であるという批判も安易すぎる.
私は1966年以降,選りすぐりの事例を調査してきたが,目撃者にインタビューしてわかったことは,彼らは最初,異常な物体を一般的なカテゴリに当てはめようとすることである.「飛行機だろうとと思いました」「はじめはレッカー車が赤いライトを点灯させているのだと思いました」「流星だと思いましたよ.空中で急に静止するまではね」などと目撃者は述べている.ハイネックは,この典型的な目撃者の反応を次のように表現している.
「目撃者は目の当たりにしているものを理解しようと努めるのだが,最初は宇宙船だなどと考えるのではなく,一般的なもので説明しようとする.しかし,どうも違うようなので解釈を変えていくうちに,どんどん混乱に陥ることになる」
ハイネックはこの様子を「解釈のエスカレーション」と名づけた.
おそらく他のUFO研究者も私も同じような態度をとっていると思う.目撃したものを最初から地球外起源の宇宙船に違いないと思ったという目撃者は少ないが,その場合,インタビューしても無駄なことが多いので,調べるのを躊躇してしまうのである.
繰り返すが,このような例は本当にごくまれであり,一般市民のほとんどは,何百年とは言わないまでも何十年かかけて形成されてきた現行の科学の枠組みで判断しようとしていた.上述の仮説8を支持するような一部の人たちは,空中に異常なものを目撃したときに,宇宙船だという解釈にすぐに飛びつくかもしれないが,仮説8を信じている人々はもともと観測そのものには関心がない.彼らは,観測できようができまいが,宇宙船の存在を固く信じているのだ.少なくとも,私は仮説8を熱心に支持する人々に出会って,そのように感じたのである.
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