目的と背景
私が国内,海外でUFO目撃者をインタビューした経験と,大気物理学および気象学分野における専門的経験が,UFO現象の正体解明に役立つものであることを説明してはどうかとの提案があった.私が行うコメントの根拠を理解してもらうためにも,私が行ったUFOの調査について説明したほうがよいかもしれない.
科学者の中にもUFOに関心のある人はいるが,私も20年もの間,UFOに関心をもっていた.アリゾナ州南部で1956年〜1966年の間に,私は,口コミあるいはマスコミを通じて知った地元の目撃者をインタビューしてきた.この経験から私は,一般の人の航空機,惑星,流星,気球,照明弾等の誤認について多くのことを学んだ.一般の人は火球(5等級より明るい流星)を誤認することが多かったので,私は流星の特性について調べた.
私の専門分野である大気物理学にも,UFO報告と関係がある現象があったため,さらに関心が深まった.この期間に行ったインタビューは,誤認についてよい勉強になったものが多かった.だが中には,明らかに気象学的,天文学的,あるいは他の既知現象に該当しないものを目撃した,非常に信頼できる証言者もいた.
1966年以前の時点では,これらの事例が国内,海外で多数発生していた事例と類似していることをまったく知らなかったので,不思議なこともあるものだと思う程度だった.ツーソンでの10年間にわたる調査では,このような異常性の高い事例には,少ししか出会わなかったからである.
私はNICAP(全米空中現象調査委員会)やAPRO(空中現象調査機構)のような民間の研究団体が活動していることを知ってはいたが,その調査方法を評価できるだけの情報をもっていなかったので,私は彼らの発表を大して重要視していなかった.
私は公的機関のUFOプログラムの本質に関して,誤った印象を抱いていた.そのことは後で気づいたのだが,ここではそのことについて詳しく述べない(最初,UFOプログラムに若干関心があり,その後強く関心をもつようになったのだが,その経緯を委員会に知ってもらうために,そのことについて述べる).
1966年以前に,ツーソン付近で全部で150人から200人ものUFO目撃者(そのうちの75人は1958年に起きたある未解決事件に関するものである)にインタビューしてきたが,UFO問題はまだ私にとってそれほど重要なものではなかった.
1966年3月,ミシガンで目撃事件(私も調べてみたが“沼地ガス”説はまったくバカげたものだと思った)が発生,大々的に報道されたが,その後発生した1966年初めのツーソンでのある目撃事件がきっかけとなり,私は夏休みにUFO問題を詳しく調べてみようと決意したのである.民間,公的機関(プロジェクトブルーブック)のUFO調査プログラムに関するファイルを詳しく調べたり,多数の興味深い事例に関する大量のクリッピングファイルを見たり,時間をかけて重要なUFO事件の主な目撃者たちから話を聞いたりしていたが,1966年5,6月からの数週間で,私は考えを改め,UFO問題の科学的重要性を認識するようになった.1966年の半ばまでには,私は政府の多くの科学機関や民間の科学者団体に対して,UFO調査プログラムを開始するよう働きかけた.
それから2年が経過し,この問題の背景知識が大きく広がった.科学界全体からはほとんど無視されているが,科学的に極めて高い重要性をもつと思われるこの問題に,私はますます関心を深めた.
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