気象観測用気球や調査用気球でたいていのUFOは説明できるのではないでしょうか?
UFOの正体は気球だと断定した記事が1951年2月10日,ルック誌に掲載された.ここまで断定したものは多分ないだろう.リチャード・ウィルソンの“核物理学者がフライングソーサーの正体を明かす”という記事である.その中に,当時海軍の宇宙線観測プログラムで大型のスカイフック気球による調査に携わっていた,アーナー・リドル博士の言葉が紹介されている.博士は「信頼できるとされるUFO目撃報告は,すべて宇宙線観測用気球を誤認したものである」と述べた.
定期便パイロット,軍関係者,その他信頼のおける人々が,スカイフック気球(洋ナシに似た形で高々度を低速で飛行する)とはまったく異なる識別不能物体を目撃しており,そのような報告が1951年までに数多く記録されていることを考えると,博士の主張はおかしいと言わざるを得ない.だが,スカイフック気球や,定時観測で使用されるずっと小型の気象観測用気球を多くの人が誤認しているのもまた事実である.
夕暮れの西の空を背景にすると,スカイフック気球は滞空する異常な発光体に見える.1946〜51年当時,スカイフック気球の任務は,今もなお極秘のプログラムと関係していたため,目撃者の多くは,双眼鏡で観測したとしても正確にその正体を特定する知識がなかった.スカイフック気球の誤認に関するリドルの指摘は正しいが,すべてがスカイフック気球の誤認だと断定したのは間違いである.
実際,公式の事例評価では,スカイフック気球による誤認は気象観測用気球よりも少ないことがわかる.だが,気象観測用気球が原因だとされたケースも,非常に無理があるものも多い.公式機関が用いている判断基準は非常にいい加減である(参考文献7,p185).
その判断基準とは,物体の高度,形,距離等の詳細部分に関係なく,“気球の放出地点付近で,放出予定時間から1時間後以内に報告された物体は気球として分類する”というものである.
このような基準を用いているのであるから,公式報告に“気球”説による説明が増えるのも当然である.報告内容から推定したUFOの速度が,なんと超音速となる“気球”まであるのだ.
測風気球に搭載された夜間追跡用の小型ライトは,巨大な発光物体を至近距離で目撃した事例の説明に何度も使われてきた.つい最近も私はツーソン近くで起こったその種の事例を調査したばかりである.
1968年7月2日,成人の目撃者4名がオレンジがかった赤い半月型の物体を数分間目撃した.目撃者たちは,おそらく物体は,数マイル離れた砂漠の上空数百フィートを滞空していたと推測している.その物体は一度傾き,それから体勢を戻すと,加速して山岳地帯の上空に上昇し,約10秒後に遠方に消えた.
気象観測用気球がその目撃の前にツーソン空港気象局観測所から放出されていたので(実際は,約1時間45分前なのだが),地方紙には,目撃者たちは“気象観測用気球”を目撃した,という公式見解が掲載された.この時使用された小型の測風気球30)は分速600フィートで上昇する.気球に搭載された小型ライトは直線で10,000フィート以上離れると肉眼では見えなくなる.上空の風は問題の方向に吹いてはいなかった.さらに,目撃された赤い半月型物体の推定角サイズは,月の直径の約2倍だった.4倍はあったと話している目撃者も何人かいた.測風気球のライトがこの大きさに見えるには20〜30フィート以内になければならない.
このような問題点があるので,公式ファイルでは気球に分類されるものが増えてしまうのである.
1.ケース31.ニュージャージー州フォートモンマス,1951年9月10日
考察
2.ケース32.ワシントン州オデッサ,1952年12月10日 考察
3.ケース33.ワシントン州ロザリア,1953年2月6日 考察
4.ケース34.マサチューセッツ州ボストン,1954年6月1日 考察
5. 他にも私のファイルの中には,過去20年の間に起きた(絶対に気球に分類できるはずのない)“気球”の事例がたくさんある.それを評価する場合は,関連する定量的な部分に注意しなければならない.
目撃の重要な部分を無視して“気球”説で片づけてしまうのは,困惑するUFO事例が存在しないことにするためのやり口の一つに過ぎない.
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