5.ケース39.ミシガン州ポートヒューロン,1952年7月29日
レーダーによる詳細な記録が入手可能なUFO事件の多くは1953年以前に限られている.1954年から公式機関の方針が変更されたため,それ以降に発生した事件については良質な情報を入手するのは難しい.
1952年7月29日の中央標準時9時40分頃,地上レーダーと機上レーダーでUFOを捕捉した事件が発生している4,5,7,10,25).
公式機関の事例報告7)によると,まずミシガン州の航空管制および早期警戒基地のGCIレーダーが不明目標を捕捉した.同時刻に3機のF-94戦闘機が近くの空域で迎撃訓練を行っていたため,そのうちの1機を飛行物体の確認に向かわせた.
その物体は北の方角から飛来し5,25),その速度は時速600マイルを超えていた.不明目標に接近するF-94戦闘機がGCIレーダーで捕捉されていたが,目標は突然180度反転して北へ進路を変えて戻り始めた.
そのときまでにF-94戦闘機は高度21,000フィートまで上昇していたが,機上レーダー操作員が目標を捕捉していたとき,パイロットは複数の色に輝く光体を目撃している.F-94戦闘機は20分間にわたり追跡を続けたが,北へ向かう不明目標に接近することはできなかった.
レーダーで最初にロックオンしたとき,F-94戦闘機はミシガン州ポートヒューロンの西20マイルの空域にいた.GCIレーダーには,不明目標が不規則に速度を変えるのが捉えられていた.公式ファイルの情報を入手していたメンゼル25)によると,その速度は時速14,000マイルを超えることもあったという.
ルッペルト5)は,F-94戦闘機が燃料不足で基地へ帰投するため変針すると,GCIレーダー上の不明目標は速度を落とし,間もなく姿を消したと述べている.
考察
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