1.ケース31.ニュージャージー州フォートモンマス,1951年9月10日
1951年9月10日と翌日,フォートモンマス付近で発生した,一連のレーダーおよび目視観測事例は,その後2年間,公式機関のUFO問題の取り扱いに影響を与えたという点で決定的重要性をもつ.このことはルッペルトの著作5)で明らかである.
これらの目撃については,現在公式ファイルから科学的な研究に必要な詳細情報が入手できる7).ここでは,一連の事例の中から,フォートモンマス近くをT-33で飛行していた2人の乗員の目撃例を取り上げる.この目撃も気象観測用気球であったとされている.他の重要な事例と同様,詳しく説明するには多くの紙面が必要となるため,かなり省略せざるをえない.
デラウェアからロングアイランドの空軍基地に向かってT-33が高度20,000フィートを飛行中,2名の乗員は“丸くて銀色”の物体を発見した.それは,迎撃しようとしたときには平らに見えた.T-33は,降下旋回して物体に接近しようとした.しかし,それは急激な方向転換(乗員の発言)を行い,東方のニュージャージー州沿岸に向かって高速で飛行,沖の方に消えた.1組の気象観測用気球(おそらくラジオゾンデ気球であろうが,ファイルにはそれに関する情報はない)が,フォートモンマス近くにあるエバンス信号研究所から放出されていたので,公式の評価は,乗員が目撃したものはこの気球であるとされている.
しかし,気球は東部夏時間11時12分に放出され,ニュージャージー州ポイントプレザント上空のT-33から目撃されたのは11時30分頃からである.
経過時間から逆算して分速800〜900フィートの速さで上昇すれば17,000〜18,000フィートの高度に達する,と公式機関は速度を大きく見積もって分析している.しかし,この分析は間違った推論を元に築かれているように思われる.
乗員は,物体の方に反転しようとしたとき,物体はニュージャージー州フリーホールド上空で120度変針し,その後大西洋上に飛び去ったと話している.しかしフォートモンマスの気球であれば北西に流され,11時30分までにシーブライト付近の海岸上空にくるであろう.
したがって,T-33から気球を見たとすれば,気球放出地点の西南西約15マイルに位置するフリーホールドとは違った方位になるはずである.乗員がポイントプレザントからラジオゾンデ気球を目撃したのだとしたら,気球は機の北か北北東の方角で停止し,機に追い越されるまで留まっていなければならない.
さらに気球の大きさも,公式機関の分析に深刻な問題を突きつけている.気球が約18,000フィートに上昇したとして,その直径が約15フィートだったとすると,T-33がポイントプレザントを通過したとき,わずか0.6分の角度に見えるはずである.この大きさは裸眼では小さすぎ,乗員が追跡しようとした物体の特徴に該当しない.
ペンシルバニア州コロンビアのパイロット,ウィルバート・S.ロジャーズは,その物体は“完全に円形で平ら”で円盤の中心は“約6フィート”の厚みで,900mph程度の対気速度で移動しているようだった,と報道機関のインタビューで答えている40).
このように気球という評価は,公式報告に記載されている事実と整合性がなく,非論理的なものである.
考察
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