5.ケース13.サバンナ川AEC(原子力委員会)施設,1952年夏 考察
アンダーソンによれば,後にこの事件のことを仲間と議論したが,通常の飛行物体ではありえない,との結論に達したという.誰も幻覚や幻影だという可能性を考えもしなかった,と彼は述べている.
その後数日分の地方紙を搜してみたが,この目撃事件に関する記述はまったく見あたらなかった.それ以上の情報やコメントが,米国原子力委員会のセキュリティの厳重な施設から漏れてくることはなかった.アンダーソンは公式文書の存在についても知らなかった.
アンダーソンから話を聞いて数か月たった頃,ルッペルトの報告5)を何度も読み返すうちに,とある一文が私の目を引いた.それは,1952年の9月頃のアメリカ東南部に目撃報告が集中していることに触れたものだが,それによると「ジョージア州サバンナ川近くにある完成して間もない原子力委員会の極秘施設周辺から多くの報告が寄せられた」とある.公的調査機関に寄せられた報告が,アンダーソンの同僚から出たものか,あるいは事件を目撃した他の職員からのものかはわからない.
もしそのいずれでもないとすると,専門的訓練を受けた何十人もの職員が,驚くべき空中ショーを目撃していながら報告しなかったことになる.確かにアンダーソンは公式の報告のことを知らず,目撃の情報が仲間内から収集されたという話も聞いていないので,事件のことは報告されなかったようである.
もし,アンダーソンが推測するように,この事件が起きたのが1952年の7月19日だとしたら,例の,ワシントンナショナル空港でレーダー捕捉された有名な目撃事件のわずか12時間前ということになる.だが,確かな日付は今も不明である.
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