1966年8月31日,空軍科学研究局(AFOSR)副局長イワン・C.アトキンソン大佐はコロラド大学宛に一通の手紙を送った.その中で彼はAFOSRの所信を表明し,未確認飛行物体の科学的調査がすべて空軍の管轄外で行われることは科学的関心から見ても,一般的な関心から見ても,これまでになく意義のあることだと語っている.大佐は“コロラド大学に研究資金受給機関として調査に参加”することを要請した.コロラド大学は「参加する科学者たちは,この現象に対していだいた様々な物理学的,心理学的な疑問に対して,自ら信じる科学的判断により,研究に必要な技術を自由に計画したり発展させてよい」という無条件の資金提供であるとして,科学調査を引き受けて欲しいと打診された.
AFOSRの要請は,ブライアン・オブライエン博士を議長とする米国空軍特別諮問会議の特別委員会が1966年3月に出した勧告に従ったものである.続いて,米国科学アカデミー−米国学術研究会議が空軍システムコマンドのために用意した査問会議の議長として,オブライエン博士は,AFOSRに対してコロラド大学は資金提供する機関として適切であると進言した.
アトキンソン大佐の要請を受けた後,大学当局とこれに興味を持った教授たちは提案された研究プロジェクトについて話し合った.このテーマは,科学的見地から見て捕らえどころがなく,容易に認められるものではなかった.このことだけでも,多くの科学者たちがこのような研究には難色を示すことが想像できる.科学者たちははっきりした成果が期待できない研究に自らの時間を費やすことに躊躇するものである.おまけに,これは過去何年間も最も悪評の高いテーマの一つと見なされていたものである.多くの大衆向けの本や雑誌記事は,空軍がこの問題に十分注意を払っていないと批判したが,逆に空軍はあまりにもUFOに関わりすぎているという批判もあった.このような事実を承知の上で,大学当局は困惑と混乱を招いている問題を完全に明らかにし,学術的,科学的模範を最大限に示すことが国家に対する義務であると判断した.
幸運にも,物理学教授で宇宙物理学研究所連合の特別研究員であるエドワード・U.コンドン博士もこの考えに賛同し,このプロジェクトの指揮をとることを受諾した.研究責任者としてコンドン博士と共に指名されたのは,心理学部教授兼学部長であるスチュワート・クック博士と,環境科学業務局で大気物理学を専門とする物理学者,フランクリン・E.ローチ博士である.そしてプロジェクト・コーディネーターとして,大学院副学部長,ロバート・J.ロウが指名された.
大学は,通常通り科学調査プロジェクトを遂行し,指揮者とその補佐役が,専門家としての立場から科学的にこのテーマを判定するだけである,という条件で研究を引き受けた.政府機関に管理されず自由に研究できるというのは,アトキンソン大佐の発言で保証されていたが,それだけではなく研究結果の報告全文を一般に公開してもよいとされた.
さらに,大学はこの分野の大規模な研究を初めて引き受けることから,この研究は発展する可能性があると認識していた.それで,科学界の全面的協力が望まれたが,米国大気研究センター(NCAR)や環境科学業務局(ESSA),その他国内の科学者や科学研究所から,支援や助言の申し出が多数寄せられた.
大学はまた,プロジェクト終了後に研究方法や結果を最終審査することを歓迎した.米国科学アカデミーがそれに協力する,ということが1966年10月号の“ニュースレポート”に発表され,アカデミーはコロラド大学の研究を1968年の終了時に審査することに同意した.即座にAFOSRは独立したこの研究の審査に同意し,NASの審査を“研究方法の科学的妥当性をさらにチェックするもの”と判断した.
1966年10月,指揮者がボールダーにあるコロラド大学のキャンパスにスタッフを集め,研究を開始した.さらに大学とNCAR,ESSAの研究所,スタンフォード研究所,アリゾナ大学などの研究機関の間で,研究に必要な専門分野の知識を持った人材による科学および技術的な支援提供の契約が交わされた.こうして,ボールダー,ならびにその他あらゆる場所で特殊なテーマの研究が可能になり,プロジェクトの現地調査チームが収集したデータに対し,情報の完全な分析に必要な専門家を向けることが可能となった.
その後18か月間に渡る研究報告については,この後のページで紹介する.それは様々なテーマを扱っており,歴史的検証から目撃報告の徹底調査,また研究所での分析から普遍的な科学原理の説明にまで及ぶ膨大なものである.この研究とその結果については,完全なものであると主張することはできない.それは,他の科学の活動と同様,後に改善されていくものであろう.この研究は,優れた科学者や専門家たちのグループが,想像力や感情を刺激し,多くの人の好奇心をかき立てるテーマを,初めて冷静に調査したものであることを,読者は心に留めていただきたい.
一つの研究で,すべての疑問を解明することは不可能である.しかし,研究の新しい道筋を示したり,これ以上研究しても成果が得られないアイデアを退けたり,風説,誇張されたもの,想像の産物を除外することはできるはずである.
副学務長 サーストン・E.マニング
コロラド州ボールダー
1968年10月31日
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