4.目撃者の観察の信憑性
その人物の誠実さという意味での信頼性とは別に,検出器官としての能力の信頼性の問題が存在する.視覚による識別や時間,距離,角度の推測等が曖昧になる精神的身体的要素に注目する必要がある.一般の人がUFOだと判断した事例の疑わしい部分を排除する際に,こうした要素が大きく関わってくる.
特に重視されている,低速移動する,あるいは静止する大型の物体を近距離で目撃した事例で,一瞬ではなくかなりの時間目撃されたものについてもこうした知覚の問題は無視できるものではないが,その影響は弱くなる.
直接事件を調査したこともない懐疑主義者がよく持ち出すのは,ある事件にたまたま遭遇した目撃者たちの証言が,はなはだしく食い違っている,という話である.確かに,目撃者が複数の事例では,証言に食い違いが見られる.特に飛行方向,時間,大きさなどに関して食い違う場合が多い.
しかし,この種の批判に対しては次のような反論が可能であろう.
街角で車が衝突するのを目撃した人たちがいた場合,彼らは法廷でサイがベビーカーに激突したとか,飛行機が近くのビルにぶつかった瞬間爆発したなどと説明したりしない.よく考えてみればわかるが,目撃者の証言の不一致は,ある範囲に収まるのである.
既知のどんな航空機にも似つかないドーム型の円盤から数百フィートのところにいたが,その物体は音もなく離陸して,5秒で視界から消えた,と複数の目撃者が全員証言しているとすれば,距離,形状,あまり重要ではない特徴,音,時間についての描写にばらつきが出てくるのは避けられない.そのばらつきを取り上げて目撃の本質的な部分を無視してよいはずはないのである.
私は科学者,特に心理学者と話したとき,彼らは人間という性能の低い観測装置に,無理なことを要求していたので,あきれてしまった.
目撃者の知覚能力の限界についてバランスのとれた判断は,確かに必要である.目撃者の話が一致しない部分については,懐疑的な立場をとるべきであろう.
数値的なデータを含まない目撃事例は理想的ではないのは確かであるが,不十分な情報を頼りに調査しなければならない場合がもちろんあるのだ.UFOの研究に着手するには,そのようなデータを綿密に調べることが必要となる.そして,さらに良質のデータを入手することが求められる.
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