2.ケース2.アラバマ州モントゴメリー,1948年7月24日 考察
この事例は長年議論の的となっているが,そうなるのも当然である.メンゼル24)は,当初この物体は“蜃気楼”だと主張していたが,そのような非現実的説明を行った根拠を示していないのである.
パイロットたちの視線の方向が大きく変化していること,物体の構造がわかるような光源がなかったこと,物体が急上昇したこと,また高々度を飛行していたことなどは,そんないい加減な説明に対する明白な反証となる.
メンゼルは2冊目の本25)の中で,目撃者は流星を見たのだと説明を変えている.だが,火球が5,000フィートの雲の下を水平に移動し,窓のように見える二列の光を放ち,最後に非弾道運動といえる垂直上昇を行ったとするならば,とてつもなく異常な火球ということになる.
メンゼルの1963年の説明はさらに納得のいかないものだ.イースタン航空のパイロットたちは水瓶座流星群の流星雨を見たとほのめかしているのである.
すでに別のところで指摘したが2),この流星群の放射点は正体不明の物体が最初に目撃された位置から90度以上も離れている.さらに,まれに例外はあるものの,流星群では大きな火球が見られることはない.
だが,メンゼルの書籍が1963年に出版されたのを受けて,最近,公式筋の説明が“識別不能”から“流星”に変えられた(参考文献20,88ページ参照).
翼のない,葉巻型,または“ロケット型”の物体(真っ赤に燃えるような航跡を残す場合もある)についての報告は他にもある.
ジャック・パケット空軍大尉は1946年8月1日,タンパ市上空4,000フィート付近をC-47で飛行中,“細長いシリンダーのような形で,長さはB-29の約2倍,明るい窓のある物体”を発見した(参考文献10,23ページ参照).物体は機に接近,その後部からは火柱が吹き出ていたという.パケット大尉は,副操縦士のH.F.グラス中尉と機上整備員もその物体が約100ヤードまで近づき,そして方向を変えて去っていくのを目撃したと述べた.
これと似たような空中での目撃としては,1956年1月22日夜,トランスワールド航空の機上整備員ロバート・ムエラーがニューオリンズ上空で目撃した事例が記録されている27).
さらにもう一つ同様な目撃例としては以下で述べるアメリカン航空の例(スペリーのケース)がある.
また,太平洋のトラック諸島上空で1953年2月6日の日中,気象担当将校が翼も尾翼もない弾丸のような形をした物体を目撃した例がある(参考文献7,報告書10参照).
最後に,チルスとホイッテッドの目撃から1時間以内にも目撃事件が発生している.ジョージア州のロビンス空軍基地の地上要員がロケットのような物体が上空を西の方に飛んでいくのを目撃したのである3,5,6,10).
この種の目撃例はどれも気象学的にも天文学的にも説明がつかないものばかりである.
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