3.ケース3.
アイオワ州スーシティ,1951年1月20日
これまで数多くの航空機乗員による驚くべき人工的な飛翔体の目撃事例を調査してきたが,すでに述べた二つの事例と同様広く全米で報道されたものがもう一例ある(ただし報道は1,2日間だけで,他の事例と同様忘れ去られていった).
1951年1月20日の夜,中央標準時午後8時20分,ローレンス・W.ヴィンザーが操縦するミッドコンチネント航空のDC-3がスーシティからオマハおよびカンザスシティへ向けて離陸しようとしていた.気象データによると,当時スーシティ上空は快晴で気温が低かったことがわかる.
CAAの管制塔にいたジョン・M.ウイリアムスは,西の空に奇妙な動きをしている光体に気づいた.それが飛行機なのか,流星なのか確認しようとしたが,突如加速したため確かめられなくなった.ウイリアムスはヴィンザーと副操縦士のジェームズ・F.バークマイアに注意を促した.
この事例はこれまで何度も取り上げられている4,5,10,28)が,事件の詳細を調べるために,問題の3名の所在を突き止めた.ヴィンザーとバークマイアは現在,ブラニフ航空のパイロットに,ウイリアムスはサクラメントのFAAに所属している.
私は彼らから,これまでの証言の重要な点を確認し,さらに補足的な情報も入手できた(長すぎるのでここではそのすべてを紹介できない).
特に重要な点を以下に示す.
ヴィンザーは,その奇妙な動きをする光体を調べるため,ウイリアムスの指示に基づいて,DC-3を離陸させた.するとすぐに,その物体は突然急降下し,DC-3の上方約200フィートを通過,尾翼の方を抜けて降下したのである.
それから驚くべき機動が展開された.それは記録にもあるが,ヴィンザーは私に説明してくれた.その物体はスピードを緩めることも,旋回することもなく,突然,ほぼ180°ターンし,短時間DC-3の左翼側に並んで飛行したのである(ヴィンザー自身の言葉を借りると,“とても航空機にできるとは思えない機動”だということである).
翌日の新聞記者のインタビューに対し,ヴィンザーとバークマイアはどちらも,その物体はおそらくB-29よりも大きいと述べている.月の光で,その物体の輪郭はよく見えていた.彼らの説明によると,それは航空機の胴体に後退翼ではない翼をつけたような形をしていたが,尾翼やエンジンポッド,プロペラ,ジェット噴射口のようなものはなかったという.
急降下する前は光しか見えなかった.つまり,物体がDC-3と並んで飛行していたときには発光は見えなくなったが,降下する前は,その物体の底部の発光が見えていたということだ.
5秒ほどしてから,その物体は降下を開始し,機の下方を飛行した.彼らは物体を観察しつづけようと機体をバンクさせたが,物体は機の下方を横切り,見えなくなった.その後物体はもう見つけられなかった.
私がヴィンザー,バークマイア,ウイリアムスから聞き出した説明は,物体の機動およびその方向が完全に一致していたわけではなかったが,非常に詳細な内容だった.
ウイリアムスは物体がDC-3から離れるのを目撃していた.距離があってはっきり見えなかったが,急降下,随伴,下方への飛行を迅速に行ったのである.
乗客の中に空軍大佐とその部下がいたが,部下がその物体を短時間目撃していた.彼の証言でクロスチェックを行いたかったが,彼の所在はわからなかった.
考察
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