1.ケース35.日本,福岡,1948年10月15日
今でも公式に識別不能事例とされている初期の頃のレーダーUFO事例に,1948年10月15日午後11時頃,日本の福岡付近を飛行していたF-61が正体不明の物体を迎撃したものがある.公式ファイル42)は非常に長いので,ここでは重要な点のみ詳しく述べることにする.
F-61(パイロットとレーダー操作員が搭乗)はその物体に6回接近しようとした.機上レーダーでは繰り返し目標が捕捉されていた.レーダー操作員が目標を捕捉するたびにパイロットは接近しようとしたものの,正体不明の物体は急加速しレーダー捕捉範囲外に飛び去った.
「レーダー操作員によれば,3回目の捕捉時,レーダー目標は通常の航空機と同様のものだったが,物体は7マイルを約12秒で移動した.これは時速1,200マイルに相当する」
公式の事例ファイルによれば,別の捕捉時のことを次のように書いている.
「F-61が12,000フィート以内に接近した際,目標は180度ターンを行い,F-61の下方に急降下した」
「F-61は目標を追って急降下したが,引き離されてしまった」
その報告には不明物体について次のように書かれている.
「(不明物体は)レーダー捕捉可能範囲外に容易に飛び出すことができた」
そしてさらに次のようにも述べている.
「この飛行物体は常にF-61の位置を認識しているようである」
F-61の乗員,オリバー・ヘンフィル中尉(パイロット)とバートン・ホルター少尉(レーダー操作員)はその報告で次のように述べている.
「優れた特性および知性をもった存在であり,秀でた観察能力を有しているようである」
ヘンフィル中尉はヨーロッパ戦線での戦闘経験から,「この目標と比較しうる航空機はドイツのロケット戦闘機Me163しかない」と述べている.
乗員たちは6回迎撃を試みたが,1個以上の不明物体が存在したかもしれないと感じている.ヘンフィルは最初の迎撃について「目標は爆発的に加速して急降下したため,どんどん引き離されてしまった」と述べている.
このとき真正面から迎撃したが,その後,ヘンフィル中尉はシャンデルを行い,高度を最初の6,000フィートに戻した.そして再度迎撃を試みた.
「しかし,その飛行物体は,我々をあっという間に引き離した.私は3番目の目標を目視で発見した」
この事例ファイルに含まれている,ヘンフィルの署名入りの証言は続く.
「満月で明るい雲を背景に,目標のシルエットがはっきりと見えた.このとき,それがどんなタイプの航空機でもないことがわかった.それで私はすぐに地上の管制センターに連絡した……」
管制センターはヘンフィル中尉に,その空域には他に航空機は飛行していないと知らせてきた.ヘンフィル中尉の証言はさらに次のように続いている.
「4番目の目標は機の上方を後方から機首に向かって,自機の速度時速200マイルの約2倍の速度でまっすぐに通過していった.私は通り過ぎていく飛行物体を目撃したが,ごく短時間で通過したのがわかっただけだった.5番目と6番目の目標はレーダーで捕捉したが,すぐに高速でレーダー捕捉域から飛び去ってしまった」
(各迎撃目標が別々の物体であったようなあいまいな記述に注意せよ)
ファイルには,その物体が月に照らされた雲を背景にしたときのシルエットのスケッチが含まれている.それは戦闘機程度の大きさだったと推測されているが,主翼や尾翼が見られなかった.弾丸のような形をしており,後部に行くにしたがって先細りになっているが,その先端はスパッと垂直に切り落としたような形をしていた.“黒っぽい,光沢のない表面”のようであった.
考察
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