6.レーダー観測に対するコンドン報告の説明
ブルーブック事例ファイルは,レーダー観測についてはほとんど何も述べておらず,その現象を電子的あるいは伝播的な異常で説明しようともしていない.この事件は単に“説明不能”に分類され,1952年以来そのままである.
これに対して,コンドン報告はレーダー事象を“異常伝播”によるものとみなしている.そしてその結論を支える理由を四つあげている(126頁).
1)消失し,再び現れるという目標の性質
2)より小さな複数個の目標に分裂するという目標の性質
3)GCIのレーダーに映った目標と,F-94の機上レーダーに映った目標との関連性の欠如
4)視程が“まれなほど大きい”状態での目標のレーダー不可視性
以下でその一つ一つを検証する.
第一に,“消失し,再び現れるという目標の性質”は,主として,軌道飛行する目標がCPSー1の地上クラッタパターンに入り,そこから出たことと関係している.それは,IR-35ー52報告書の添付資料#5に含まれている地図から明らかである.この地図は,この事例を検討していたコロラド大学のスタッフも見ていた.AP(異常伝播)による地上反射はダクティングの強度が変化すると弱まったり強まったりする.しかし,ここで問題になっているのは,移動目標が平均約4マイルの円軌道を描きながら,地上クラッタの中に消え,あるいはそこから現れた,という事実である.異常伝播の記録にそのような挙動と一致するものはないと断言できる.ボーデン・ヴィッカース仮説もこの場合には該当しない.これは,逆転層における移動する波からの“反射”という考え方であるが,そのような波は円軌道を描いて伝わらない.逆転層の平均的な風の方向と速度に従って移動するだけである.さらに接近の最終段階になると,目標の速度はF-94の速度を超えていた.つまり400ノット以上である.これは,その夜吹いていた風の速度を大幅に上回っている.したがって,この事例はボーデン・ヴィッカース仮説に一致するものとは認められない.ボーデン・ヴィッカース仮説そのものも,1952年のワシントン空港におけるUFO事件を説明するために考え出された古いものであり,今ではその妥当性が疑われている.
第二に,軌道飛行する目標が3個の目標に分裂した現象は,“より小さな複数個の目標に分裂する,目標の性質”と呼べるほどのものではない.分裂は1回しか起こらなかったのである.GCI管制官は,分裂の結果生じた3個の目標のうち,最も大きな一つに接近するよう,F-94に指示している.F-94がGCIの指示に従って,そのとき目標が位置していた11時方向4マイルの地点を捜索し始めると,直ちにレーダーに反応があった.コンドン報告は,このような具体的かつ明確な点を無視している.すべてをあいまいな言葉で隠し,AP仮説をそれとなく提示するようなやり方には反対せざるを得ない.
第三に,B中尉とF-94の乗員が述べている時刻に食い違いがあることだけに基づいて,“GCIのレーダーに映った目標と,F-94の機上レーダーに映った目標との関連性の欠如”を言うことは,著しく妥当性を欠く.そのように主張をすることは,食い違いがB中尉側の証言の誤植によるものだろうとするIR-35-52担当の情報将校の証言を無視することになるし,何よりもGCIレーダーと機上レーダーに現れた反応の一致を無視することになる.その一致があったからこそ,F-94は物体の迎撃に成功したのである.さらに,コンドン報告は,F-94が「目標を追って,我々のレーダーの地上クラッタに入った」というB中尉の証言を無視している.これは,この事例の詳細を非常にゆがんだ目で評価した結果にほかならない.しかも,その詳細が報告書に収録されていないので,読者は評価できない.私が羽田関係の事例ファイルから抜き出した以上の資料によって,コンドン報告が,レーダー事象AP原因説を支持する理由としてあげている第三点は完全に論駁されたと思う.私の考えでは,この事件全体を通じて最も重要な事実は,目に見えず,高速で移動する物体をGCIとF-94のレーダーがともに捉え,その二つのレーダー事象の間に強い相関関係が見られるという,まさにそのことなのである.
第四に,コンドン報告は“視程がまれなほど大きい状態での目標のレーダー不可視性”からAP説を提案している.この意味はまったく不明である.その夜,視程が非常に大きかったのは事実であるが,そのことと“レーダー不可視性”とは物理的に何の関係もない.私の推察では,報告書は“視程がまれなほど大きかったのに,レーダー目標が見えなかった”ことを言いたかったのであろう.すでに述べた通り,白井の関係者もF-94の乗員も,それぞれのレーダー目標に該当するような物体を目撃していない.特定の状況のもとでは,この条件があれば確かにAPを考えてもよいであろう.しかしこの場合は違う.ここでは,レーダー目標が直径何マイルもある円軌道を高速で移動したり,停止,静止滞空したり(先に引用したマルヴィン大尉の証言を見よ),速度100〜150ノットから250〜300ノットに上げてみたり,最後にはF-94の375ノットをはるかに超える速度で飛び去ったりしているのである.
こうして,コンドン報告がAP仮説を支持するために提示している四つの議論は,すべて拒否せざるを得ない.これらの議論は,ブルーブックファイルから事件の詳細を抜き出すに当たって色眼鏡を使い,APが現す効果の限界を無視し,重要な出来事をねじ曲げるような言葉使いで表現することによって,実際には非常に明確な事実にあいまいな印象を与えた結果生まれたものである.
羽田事件を明確にするために私が費やしたスペースは,コンドン報告がこの事件に割いているスペースより多い.コンドン報告には,同様に明らかにする必要のあるUFO事例が他に15〜20例もあるが,そのいずれにおいても,それに要するスペースのほうがコンドン報告の本文より長くなるだろう.どの“説明”にも,上で指摘したような好ましくない面があり,また,物理学の法則や重要な数量関係を不用意に無視している.基本的な事例情報のかなりの部分が脱落していることも,多くの事例に共通している.羽田事件は,そのような欠陥を示すための一つの事例にすぎない.羽田事件は決して特異な事例ではない.コンドン報告は,長年にわたってUFOに対する世間の関心を維持してきた“古典的”な事例をいくつか取り上げて吟味している.しかしその数はがっかりするほど少ない.しかも,せっかく取り上げた事例に対しても,羽田空軍基地での出来事をカペラの回折と異常伝播で片づけてしまったように,信憑性に欠ける説明を与えているだけである.科学的根拠の薄弱な議論が,コンドン報告の事例分析の相当部分に見いだされる.それが,同報告書の結論を拒否する第一の理由である.
コンドン報告で解明されたとされるUFO事例で,その議論に対して大いに異議があり,未解明で科学的に強い関心のあると私が考えている事例が他にいくつかある(数字はコンドン報告の頁番号).
1950年5月20日アリゾナ州フラッグスタッフ(p.245)
1952年7月19日ワシントンD.C.(p.153)
1952年8月1日オンタリオ州ベルフォンタイン(p.161)
1952年12月6日メキシコ湾(p.148)
1952年12月10日ワシントン州オデッサ(p.140)
1953年1月26日ニューメキシコ州大陸分水嶺(p.143)
1954年6月29日ケベック州セブンアイランド(p.139)
1957年7月25日ニューヨーク州ナイヤガラの滝(p.145)
1957年11月4日ニューメキシコ州カートランドAFB(p.141)
1957年11月5日メキシコ湾(p.165)
1966年12月30日ペルー(p.280)
1967年3月2日ホロマンAFB(p.150)
1967年9月11日キンチェローAFB(p.164)
1967年10月6日ヴァンデンバーグAFB(p.353)
マクドナルド博士のUFO研究――羽田空軍基地UFO事例
Case 3. Haneda Air Force Base, Japan, August 5-6, 1952.
in "SCIENCE IN DEFAULT:
22 YEARS OF INADEQUATE UFO INVESTIGATIONS"
James E. McDonald, Institute of Atmospheric Physics, University of Arizona, Tucson
(Material presented at the Symposium on UFOs, 134th Meeting, AAAS, Boston, Dec, 27, 1969)
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