3.目視観測についてのブルーブックの説明
IR-35-32で,マルヴィン大尉は仮説を一つ立てているだけで,それも簡単にしか述べていない.大尉は「水面[湾のことであろう]からの反射が,再び下層の雲に反射するだけの強いものだった」のだろうか,と考えている.ここで下層の雲というのは,“F-94の乗員が報告していた,高度4,000フィート付近のところどころに見られた薄い雲”のことである.大尉は続いて「これらの雲について,2人の管制官は見えたという報告をしていない」と述べている.この事実と,事例ファイルの他の部分に視程60マイルとあること,満月がほぼ南中していたことを考え合わせると,下層の雲は広範囲に散在していたにちがいない.そのため,管制官は雲に気づかなかったのであろう.
マルヴィン大尉がここで仮説らしきものとして出しているのは,月光の雲による反射である.ブルーブック事例ファイルには,この種の,問題の本質に対する理解を欠いた説明がいたるところでなされており,マルヴィン大尉の仮説はその典型とも言えるものである.雲に反射した月の光を言いたいならば,なぜ直接の反射ではなく東京湾の海面からの2次的な反射などを引合いに出して,自分の議論を弱めるようなことをするのだろうか.マルヴィン大尉の自信のなさそうな仮説に含まれている奇妙なこじつけは考察するまでもない.月の光が直接雲に当たったとしても,普通に使われている意味での“反射”はしない.光は雲の水滴によって散乱するので,目撃者の目をくらましたり,疲労させたりする強い光源とはならない.通過する雲を弱く光らせるだけである.マルヴィン大尉の仮説は,実におそまつな仮説といわなければならない.
マルヴィン大尉は,その仮説をそれほど力説せずに話をやめている(同じくらいバカげた“説明”が,ブルーブックスタッフや報告した将校により数多くのブルーブック事例ファイルの中で提案されているが,マルヴィン大尉のような態度が常に見られるわけではない).
彼は,その夜,東京の北西に雷が発生したことも述べているが,東京には電気的な現象はなかったとしている.北西と言えば,目撃者の視線の反対方向であるし,目撃された現象の中には稲妻に関係するものがなかったので,報告書はこの点に多く触れていない.
最後にマルヴィン大尉は,“大気のイオン化された部分からの反射”に触れている.この考えは,ブルーブックファイルで繰り返し述べられているのだが,残念なことに,私の大気物理学の研究ではお目にかかったことがない.大尉の言うところによれば「目撃例の多くは,大気のイオン化された部分からの光学的,電気的な反射で説明できるかもしれないが,羽田の場合,その夜の視程はほぼ最高であったこと,また,物体の軌道が円であったことから,この理論は適用できないように思われる」.
明らかに,大尉は視程が良好であればイオン化された部分はなかろうという理由で,この仮説をしりぞけている.本論文の読者にとってはすでに周知のことと思うが,晴天大気中の“イオン化領域”からの“反射”という説明は,ブルーブックが作り出した神話(私の調べたところでは,UFOに関する1950年の空軍文書以前に,すでにこの神話が存在していた)であり,それを裏づける根拠は何もない.
ブルーブックは,最終的に上記のどの仮説も報告された肉眼による目撃例を十分説明することができないとして,事件全体を“識別不能”としている.しかし羽田事件を調べてみると,基本的な報告,それに対する確認作業,事後の追求に重大な欠陥があったことを指摘せずにはいられない.羽田事件が起こったのは,私の調べでは,プロジェクトブルーブックの最盛期に当たっている.エドワード・J.ルッペルト大尉がライトパターソン空軍基地におけるブルーブック担当官であった.ルッペルト大尉と彼の上官は,22年間にわたるプロジェクトの歴史の中で,はじめてといってよいほど,UFO問題に真剣に取り組んでいた.1952〜53年以前も以後も,情報の収集,現地調査などの面で,このときほど努力が払われたことはなかった.羽田事件は,そのような高揚期に起こったのであるが,それでも一見してわかる通り,この事例はいくつかの基本的な点で徹底的な調査を受けていないし,解明もされていない.ルッペルト大尉は,その著書で,羽田事件は1952年半ばまでの目撃事件の中で,報告が最も完全に行われた事件であると述べている.たとえば,ルッペルト大尉の部局は,混乱している2,3の点について極東空軍に問い合わせたが,驚くほどの速さで解答が寄せられたという.羽田事件は,比較的活発な調査が行われていたこの時期でさえ,プロジェクトブルーブックの科学レベルが嘆かわしいほど低かったことを例証している.金星が東の空に出ていたかどうかという簡単な事実さえチェックされていない.運動や,角度,時間などの反問や追跡調査を考えもしていない.ブルーブックファイルを研究してみれば,どのような科学者といえども,私と同じ結論に達せざるを得ないだろう.UFO問題に対する空軍の対処は,無能と浅薄につきる.ルッペルト大尉が指揮していた比較的精力的な1952年でさえ,そうだったのである.
マクドナルド博士のUFO研究――羽田空軍基地UFO事例
Case 3. Haneda Air Force Base, Japan, August 5-6, 1952.
in "SCIENCE IN DEFAULT:
22 YEARS OF INADEQUATE UFO INVESTIGATIONS"
James E. McDonald, Institute of Atmospheric Physics, University of Arizona, Tucson
(Material presented at the Symposium on UFOs, 134th Meeting, AAAS, Boston, Dec, 27, 1969)
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