d.2周目とF-94による迎撃の試み
B中尉がこの段階での出来事に与えている時刻は,F-94のパイロットとレーダー操作員がファイル中の署名入りの証言で述べている時刻と異なっている.ファイル中の他の記述は,F-94の乗員が述べた時刻を支持しており,B中尉の要約に示されている時刻とは一致しない.マルヴィン大尉の要約では,この食い違い(約10〜12分)を特に取り上げて次のように述べている.
「第528AC&W飛行隊のB中尉の証言にある時刻と,その他の関係者の報告にある時刻には,10分ほどの食い違いがある.証言は,他のレーダー観測の部分ではすべて一致しているので,時刻の食い違いは誤植に起因すると思われる」
B中尉とF-94の乗員が,同じ迎撃について語っていることは疑う余地がない.そこで,私はF-94の乗員によって記録され,事例ファイルの他の部分で正しいと認められている時刻を使用することとしたい.この点については,以下でさらに触れる.
目標の1周目の飛行は,白井GCIによって部分的にキャッチされた.2周目に入った目標は,CPSー1地上クラッタパターンを抜け出したあたりで,再びレーダーに捕捉され,B中尉はその映像を捉えた.マルヴィンの要約は,それ以後に起こったことを次のように述べている.
「報告によると,0012に,物体は3個のより小さい像に分裂した.各像は約4分の1マイルの間隔を保っており,なかの一つは,他の像より幾分明るかった.F-94は,その最も明るい像に接近するよう指示され,0015に微弱ながら機上レーダーでそれを捕捉した.しかし,0018には再び消失した.その数秒後に,F-94と物体は地上クラッタに突入し,再び姿を見せなかった」
B中尉の証言にも(時刻を除いて)同じ出来事が述べられている.ここでは,F-94がコードネーム“サンダイヤル20”と呼ばれている.0001頃,右手の軌道を飛行していた目標の運動について述べたのち,B中尉は次の証言をしている.
「サンダイヤル20は,いかなる異常な出来事をも見逃さないように注意して,東京湾上を捜索するよう命令された.物体は,0017に再びレーダーに現れた.前と同じ,右手の軌道上である.サンダイヤル20は,目標に向けて進路をとるよう指示された.0025にレーダー捕捉の報告があり,0028に消失した旨,報告があった.サンダイヤル20は,目標を追って我々のレーダーの地上クラッタ域に入り,それ以後我々は,再度捕捉してサンダイヤル20に助言を与えられなかった.サンダイヤル20は,目視によるその地域の捜索を0034まで続けた.目的の物体を目撃することはできなかった旨,報告があった」
マルヴィン大尉の推測通り,誤植があったとすれば,上の証言における物体との接触時間は0015〜0018までとなる.そして,0017は,おそらく0012となるはずのものであろう.しかし,どれが正確な時刻であったとしても,重要な点は,B中尉がF-94を目標に向けて誘導し,そのことによってF-94が北東に移動し,地上クラッタに入るのを見守ったことである.私がこの点を強調するのは,コンドン報告が時刻の食い違いだけに基づいて,地上のレーダーとF-94の機上レーダーとが同じ目標を追っていたのではない,という結論を引き出しているからである.この結論は,事例ファイルの実際の内容とまったく相容れず,コンドン報告の態度は理解に苦しむ.
この決定的ともいえる段階で,GCIのレーダーが確かに目標とF-94を追跡していたという事実は,パイロットとレーダー操作員の署名入りの証言を見ればいっそうはっきりする.コードネーム“ハイジンクス”とは,その夜,戦闘機と無線通信を行った白井GCIの名前である.F-94のパイロットP中尉は,次のように述べている.
「報告によると,物体は東京湾の上空5,000フィートと推定される高度で飛行しているのことであった.軌道は我々の右手にあたる.その地域には,何の異常物体も発見することができなかった.しかし0016,ハイジンクスが320°旋回の進路指示があり,さらに11時4マイルにボギーを捜すよう指示があった.R中尉は,レーダーで左10°,6,000ヤードのところに物体を捉えた.物体は左から右に急速に移動し,レーダーから消えた.目標を目視できなかった」
レーダー操作員R中尉の署名入り証言も,これらの出来事については非常に明確である.
「0015,ハイジンクスは320°の進路指示を与えてきた.ハイジンクスのレーダーには明瞭な反応があり,その識別不能目標に接近せよとのことであった.ハイジンクスの推定によると,目標は,我々に対して11時の方向4マイルにある.0016,レーダーが左10°,下10°,距離6,000ヤードに目標を捉えた.目標は左から右へ急速に移動しており,ロックオンできなかった.約90秒ののち,目標はレーダーから消え,我々は再び目標を捉えるため右旋回した.その識別不能目標を目視できなかった.ハイジンクスの指示で,我々はさらに東京湾上の捜索を続けた.0033,ハイジンクスは我々の任務を解いた」
ここで特に重要なのは,白井GCIがF-94に与えた進路指示と,F-94が物体をレーダー捕捉した実際の相対位置とが,ほとんど一致するという点である.GCIは,F-94の11時の方向4マイルの位置を指示し,F-94は,左10°,距離6,000ヤードの地点で,移動目標をレーダー捕捉した.ほぼ完全な一致である.地上レーダーとF-94の機上レーダーが,同一の識別不能目標を捉えていたということは疑う余地がない.コンドン報告は反対の立場をとっているが,事例ファイルにある情報をすべて取り上げていたならば,その立場に固執することが困難であったろう.
地上と機上レーダーが捉えた移動目標は,レーダー上では普通の航空機より幾分小さいレーダー断面積であったものの,はっきりした目標であった.このことは,IR-35-52のマルヴィン大尉の要約で明らかにされている.
「白井GCI基地の管制官B中尉は,あらゆる状況のもとで相当な経験を積んでおり,CPS-1レーダーの性能は熟知している.同中尉の証言によれば,問題の物体は,ジェット戦闘機1機から得られる像より幾分小さめではあったが,実目標であったことはまちがいない」
そして,F-94の機上レーダーによる捕捉については,次のように述べている.
「F-94のレーダー操作員R中尉は,搭載レーダーについては7年の経験を有している.同中尉も物体は実目標であったと述べ,彼の知るかぎり,15〜20マイルの範囲内には,そのようなレーダーエコーを生じるものは何もなかった,と述べている」
コンドン報告の言うように,目標を異常伝播のせいにするの無理というものである.
軌道飛行する目標は,F-94から目視できなかっただけでなく,事件の途中でB中尉が外に人をやったが目撃できなかった.またすでに述べた通り,羽田で目撃された物体を,この段階でレーダーに映った物体と同じであるとする見方も問題外である.正体不明の物体が右手の軌道上にあったとき,その物体が発光していたとすれば,羽田の目撃者は,ほぼ間違いなくその運動を報告していたであろうと思われる.もちろん,羽田の目撃者が,白井のレーダーと,GCIの指示を受けた迎撃機による捕捉の試みを,どの程度知らされていたのかは事例ファイルに記述がないので不明である.しかし少なくとも,羽田の管制官は半径4マイルの円形に近い軌道を描く明るい光については,何も述べていない.したがって我々は,F-94が追跡した目標と羽田で目撃された目標とは異なったものである(可能性が高い)と結論するか,同じ目標であるがF-94の接近中は発光していなかった(可能性が低い)と結論せざるをえない(2番目の結論の可能性が低いのは,羽田の目撃者が2330から0020まで観測を続けた中で,発光体がそのように長い間にわたって見えなくなったことはなかったからである).
マクドナルド博士のUFO研究――羽田空軍基地UFO事例
Case 3. Haneda Air Force Base, Japan, August 5-6, 1952.
in "SCIENCE IN DEFAULT:
22 YEARS OF INADEQUATE UFO INVESTIGATIONS"
James E. McDonald, Institute of Atmospheric Physics, University of Arizona, Tucson
(Material presented at the Symposium on UFOs, 134th Meeting, AAAS, Boston, Dec, 27, 1969)
|