c.発光体の方向,強さ,形
IR-35-52には,A兵士の署名入り証言と,7倍の双眼鏡を通して見た発光体のスケッチ,同報告書をブルーブックに送付する任に当たった極東空軍情報将校チャールズ・J.マルヴィン大尉の要約的コメントが含まれている.
A兵士の証言では,発光体の方角が北北東となっているが,マルヴィン大尉の要約では,これが単に北東と記されている.常識的に考えても,直接の目撃者の証言の方が信頼性が高いはずであるし,この場合には,そのほうが正確であるように思われる.この証言に従うと,羽田からの目撃の場合,視線の方角は北から25°ないし35°東寄りである.これに対し,立川からの目撃の場合地理的に考えて,視線の方角は北から90°以上,おそらくは100°以上東に寄っていたことになる.この点については,また後ほど触れる.
報告書中のいくつかの項で,物体の光が強烈であったことを指摘している.A兵士は証言の中でその物体を“湾上の強烈な明るい光”と記述している.注釈つきのスケッチでは,発光体が広がりをもっており,その広がりの“全域にわたって一定の明るさ”が観察できたとしており「明るい光のために目が眩むようだった」と述べている.マルヴィン大尉の要約は「目撃者の証言によると,その物体を集中して見つめると,目が急速に疲労した」とさえ述べ,別の場所で“物体のまぶしいほどの青白い光”に言及している.コンドン報告では,明るさに関するこれらの証言をほとんど取り上げていない.これは,コンドン報告がこれらの目撃を説明するためにカペラ仮説を取り上げていることと関係している.
A兵士の証言には「それが星でも気象観測用気球でも金星でもなかったことは確かです.私は物体をその三つと比べてみたのですから」という部分がある.これについて次の二つの点を明らかにしておかなければならない.まず,この事例ファイルでは他の部分にも金星の名前が見えるが,これは明らかに混乱を招く.その晩金星は現地標準時2000頃に沈んでいるはずだからである.報告書の他の部分には,金星が東の空に低く見えたという記述があり,その時刻に東の空低くに見える際立った天体は木星以外にないことから,私は事例ファイルの中の“金星”は誤りであり,“木星”と読みかえるべきであると考える.木星は,2300にほぼ真東に昇っていたはずであり,その視等級は-2.0であった.したがって,その物体が“金星”より明るかったとするA兵士の証言から,物体の明るさは-3.0等級程度かそれ以上であったと推論することができよう.また,見て“目が眩む”とか“疲労する”という証言もあるので,明るさのピークに達したとき(下記参照)の光度は,-3等級を相当上回っていたに違いないと考えられる.
A兵士の証言に,発光体の明るさを“気象観測用気球”と比較したという部分がある.これは,その晩2400に管制塔近くで放たれた測風気球を意味する.この気球には1個の光源が搭載されており,管制塔はそれを基準にして物体の大きさと明るさを測定したのである.このような比較ができたことは幸運といわなければならない.気球の光源は,気象観測で長く用いられている電池式の小さなライトであり,その明るさは約1.5燭光であることが知られている.1燭光の光源を1km離れた地点で見ると,その視等級は0.8である.管制塔から気球までの距離は2,000フィート(下記参照)であった.これに逆二乗則を適用して視等級を求めると,気球放出時の光源の明るさは約-0.5であったことになる.マルヴィン大尉の要約では,この比較について「物体の輝くような青白い光に比べると,気球の光は非常に暗く,黄色く見えたと話している」と書かれている.ここでも,物体の見かけの明るさが木星の-2.0をはるかに超えていたことが推測できる.こうして,明るさに関する証言はどれも矛盾せず,総合すると,どのような星も及びもつかない明るさであったことが結論づけられる.のちに触れる通り,この結論は,コンドン報告が,羽田事例の目視部分を説明するために採用したカペラ仮説とは相容れない.
恒星を光源とみなす仮説との関連で特に興味深いのは,羽田管制塔から7倍の双眼鏡で見た物体の形とその角直径である.幸いなことに,角直径については,物体が目撃された約50分の間に,既知の角直径をもつ物体との直接比較が行われている.2400に,管制塔から2,000フィートの地点から小さな気象観測用気球が放出された.そのときの気球の直径は約24インチであった(IR-35-52ではそれを“測雲気球”としているが,同報告書に収められている雲量データからすると,その夜は測雲気球が必要とされるような天候ではなかった.さらに,示されている気球の重量30gと直径2フィートは,上空の風を測定するために用いられる標準測風気球の重量と直径に一致する.また,日本時間2400=1500Zという時刻は,当時,測風気球放出時刻として標準的に用いられていた時刻である).直径2フィートの気球を2,000フィートの距離から見ると,その角直径は1mrad,度数にして3分をわずかに超えるだけである.管制塔の目撃者は,この角直径を基準にして,発光体の見かけの角直径を測定した.IR-35-52からの引用を次に示す.
「3名の管制官の証言によれば,塔に最も接近したときの光の大きさは,塔から2,000フィートの地点にある測候所から放出された測雲気球(30gで直径2フィート)の,放出時の大きさとほぼ同じであった.GCIのレーダー観測によると,物体までの距離は10マイルであったから,光の中心部分の大きさは,直径50フィートになる.……点灯した気象観測用気球は,2400に放出された」
したがって,羽田から肉眼で見た光の大きさとして,見かけの角直径3分というのは妥当な値であると思われる.この大きさであれば肉眼の平均的分解能の2倍近くあるので,物体が見てそれとわかる広がりをもっていたという報告も十分うなずける.その物体は点光源ではなく,広がりをもっていたのである.
IR-35-52は,7倍の双眼鏡を通して見た物体の外見を,かなり詳しく記述している.ここで注意すべきことは,肉眼で見たときの直径が3分であれば,7倍の双眼鏡で見たときの見かけの大きさは,ほぼ20分になることである.これは,満月を肉眼で見たときの角直径の3分の2に当たり,かなりの細部まで識別できる大きさである.IR-35-52は次のように述べている.
「光は円形であり,その円内全体にわたって一定した輝きをもっていた.この円形の光は,より大きい丸い暗い形の一部分のように見えた.周囲の暗い円形は,光の直径の約4倍はあった.物体が接近して,細部がいくらか明瞭になったとき,左手の下のへりに,小さな,弱い光が一つ見えた.外側の円形の下のへりに沿って,あと2個か3個のさらに弱い光が並んでいた.暗い円形は下の部分しかはっきりしなかった.これは,空のほうが明るかったためで,物体の上半分は後方の空に溶け込んでしまったようである.回転しているようには見えず,音も聞こえなかった」
この詳細な記述は,見かけの角直径が満月の半分以上にもなる物体についてのものであるから,細部が判別できる限界以下というものではない.IR-35-52に示されているスケッチは上記の記述と一致する.そこには,“全域にわたって一定した輝きをもつ(つまり点ではない)”円盤状の中央部と,それを取り巻く環状の暗い部分が描かれている.環状部分の直径は,中央の発光部分の直径の3倍から4倍ある.環の下半分の周辺には,4個の光が並んでいる.「いちばん左の光は小さく,かなり明るい.その他の光は,より暗く,おそらくさらに小さい」
最後に,A兵士の署名入りの証言から引用しておこう.
「管制塔に入ってから,私は双眼鏡で観察を始めました.物体がずっとはっきり見えました.中央に白い明るい光があり,その周りの暗い物体が,背後の空から浮き上がってみえました.暗い物体の外側のへりに沿って,小さな白い光が並んでいました.そして,その物体全体の周囲からも光が出ているのが見えました」
以上のように,形状の細部を吟味してみると,星とは似ていない輝きを放っていた事実もそうであるが,コンドン報告が羽田事件の目視部分を説明するために持ち出したカペラ仮説ではまったく説明できないことがわかる.発光体の報告された動きを調べるとさらに疑問が生じる.
マクドナルド博士のUFO研究――羽田空軍基地UFO事例
Case 3. Haneda Air Force Base, Japan, August 5-6, 1952.
in "SCIENCE IN DEFAULT:
22 YEARS OF INADEQUATE UFO INVESTIGATIONS"
James E. McDonald, Institute of Atmospheric Physics, University of Arizona, Tucson
(Material presented at the Symposium on UFOs, 134th Meeting, AAAS, Boston, Dec, 27, 1969)
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