全米UFO論争史 >第9章 コンドン委員会とその余波

 コンドン委員会が設立されたのは,キーホー,ハイネック,民間UFO団体,議会,ニュースメディアの何年にも及ぶ圧力が頂点に達した結果であった.コンドン委員会は軍がベースではなく,大学がベースであったこと,そのメンバーが物理科学,社会科学の専門家であること,その目的がUFO現象の長期的,徹底的研究であったので,コンドン委員会はUFO論争に関わる全ての人々にとって,とてつもない重要性を持つことになった.しかし委員会は,内部分裂,方法論を巡る争い,個性のぶつかり合いの犠牲となり,ほとんどの問題を解決,あるいは明らかにすることはできなかった.実際,その最終報告書は委員会が回答した以上に疑問を浮き上がらせた.コンドン委員会は空軍からUFO問題を取り除くのには役立ったが,現象についての知識を増すことには実質上失敗した.
 コンドン委員会は1966年10月,全面的に楽観して作業を開始した.このプロジェクトに参加する人々の中には,誰もこの分野で経験がある者はいなかったが,心理学者のデビッド・ソーンダースとスチュアート・クック,化学者のロイ・クレイグ,天文学者のフランクリン・ローチ,そしてプロジェクト・コーディネータのロバート・ロウを含む12名のスタッフは,多方面からUFO問題に着手するための,実行可能な計画を作成していった.スタッフは入手できる最良の目撃をケースブックに保持するよう計画し,ソーンダースはそれらを統計学的に研究しようとした.スタッフは,この問題に関する重要な研究のほぼ全てを集めた.目撃が発生したらすぐに調査に従事できる調査チームを作ることも計画した.心理学者,ウィリアム・スコットは,目撃とその目撃者についての情報を集めるための標準質問表の作成に取りかかった.コンドンは,UFO目撃に関係する球電,プラズマなどの物理現象ついての報告作成のため,外部のコンサルタントを雇用した.UFO研究で遭遇する問題をプロジェクトメンバーに理解させるため,スタッフはハイネック,ジャック・バレ,クインタニラ,キーホー,そしてNICAPの副会長,リチャード・ホールを招いた.
 だが,トラブルの発生とほぼ同時に,楽観的な感情は薄れていった.

(後略)







コンドン報告で唯一識別不能に分類された写真撮影事例,マクミンビル(オレゴン州)UFO写真(2枚)とUFO部分の拡大.1950年5月11日夕刻撮影.撮影者は撮影間隔を30秒と推定.ブルース・マカビー博士をはじめ,多くの研究者がこの写真の分析を行っている.


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原書表紙
   序文
   謝辞
   用語について

   第1章 謎の飛行船 ─― 論争の序曲
   第2章 現代のUFO目撃始まる
   第3章 1952年のUFO目撃ウェーブ
   第4章 ロバートソン査問会
   第5章 コンタクティとUFOマニア
   第6章 1954〜1958年 ―─ NICAPの台頭
   第7章 議会公聴会開催を巡る争い
   第8章 1965年 ─― 論争の転機
   第9章 コンドン委員会とその余波
   第10章 1973年 ── 過去からのこだま

   空軍が受けた年間UFO報告数の変化
   日本語版あとがき
     ・閲覧可能となった米政府文書
     ・目撃報告の減少
     ・ロズウェル事件
     ・ネオコンタクティ
     ・UFO研究界
     ・陰謀論
     ・アブダクション
     ・次の段階
   註
   情報源について
   主要参考文献
   著者経歴
   索引


   本書で取り上げた書籍一覧


 



SSPCのUFO書籍・資料
「レーダー捕捉UFO事例の研究」 「未確認飛行物体に関する報告」 「コンドン報告第1巻」
「ブルーブックケースファイル」 「米下院UFOシンポジウム」 「コンドン報告第3巻」
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