全米UFO論争史 >第8章 1965年── 論争の転機

 1947〜1964年の17年間,UFO問題で対立関係にあるグループが激しく論争を戦わせていた.その一方は空軍であり,もう一方は民間のUFO研究団体であった.報道機関,大衆,議会も論争に関わることがあったが,それは報告が多発するわずかな期間である.空軍と民間研究団体の攻防は,ほとんどの人々にとっては重要なものではなかった.大衆の関心を誘い,重要性を認識させられるグループ──科学者たち──は沈黙したままだった.だが1965〜1967年,この論争に転機が訪れた.論争の周辺にいた人々が,その中に積極的に関わりだした.報道機関,大衆,議会,科学界全てがUFO論争に加わったのである.その結果,空軍はほぼ独占状態だったUFO研究を手放し,ある大学に研究を依頼することになった.
 この転機のきっかけとなったのは,予見できない変数であり,論争の最も重要な点であるUFO目撃であった.

(後略)

全米で大きく報道されたヒルズデイルUFO事件の目撃状況を説明するヒルズデイル大学の女子学生.1966年3月20日,ミシガン州のヒルズデイル大学で87名の女子学生と民間防衛隊の隊長が,女子寮から数百ヤード離れた沼地帯で静止滞空しているフットボール型の輝く物体を目撃.その物体は寮の方に真っ直ぐ飛んできたが,突然止まり,沼地の方に戻っていった.物体は「飛行場灯台を巧みに回避し」,車が近づくと暗くなり,「車が去ると明るくなった」.物体は4時間に渡り目撃されていた.ハイネック博士の説明は,人々が目撃した弱い光は,植物が腐敗してそれが自然発火したものであろう,この現象は沼地(スワンプ)ガスとして知られている,というものだった.

ノースウェスタン大学天文学部長J.アレン・ハイネック博士.ヒルズデイルUFO事件における博士の「沼地(スワンプ)ガス」発言が原因で,博士と空軍はマスコミから集中砲火を浴びた.これが,コンドン委員会発足とその後の空軍UFO プロジェクト終了の引き金となった.


  目次(リンクをクリックするとその一部が読めます)



原書表紙
   序文
   謝辞
   用語について

   第1章 謎の飛行船 ─― 論争の序曲
   第2章 現代のUFO目撃始まる
   第3章 1952年のUFO目撃ウェーブ
   第4章 ロバートソン査問会
   第5章 コンタクティとUFOマニア
   第6章 1954〜1958年 ―─ NICAPの台頭
   第7章 議会公聴会開催を巡る争い
   第8章 1965年 ─― 論争の転機
   第9章 コンドン委員会とその余波
   第10章 1973年 ── 過去からのこだま

   空軍が受けた年間UFO報告数の変化
   日本語版あとがき
     ・閲覧可能となった米政府文書
     ・目撃報告の減少
     ・ロズウェル事件
     ・ネオコンタクティ
     ・UFO研究界
     ・陰謀論
     ・アブダクション
     ・次の段階
   註
   情報源について
   主要参考文献
   著者経歴
   索引


   本書で取り上げた書籍一覧


 



SSPCのUFO書籍・資料
「レーダー捕捉UFO事例の研究」 「未確認飛行物体に関する報告」 「コンドン報告第1巻」
「ブルーブックケースファイル」 「米下院UFOシンポジウム」 「コンドン報告第3巻」
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