ワシントンUFO事件は、これまでもっとも大きなニュースとなったUFO事件である。全米の新聞は一面トップでこの事件を取り上げ、民主党大会やヘルシンキ五輪(7月19日〜8月3日)のニュースを押しのけた。世界各国の新聞でも取り上げられ、日本でも朝日新聞がこの事件を紹介している。
この事件は1952年7月19〜20日と7月26〜27日に発生した。UFOがワシントンの飛行制限空域内を飛び回り、旅客機を追跡したり、迎撃に上がったF-94B戦闘機を振り切ったり、あるいは戦闘機を取り囲んでパイロットを震え上がらせたりした。その様子は、ワシントンナショナル空港や、アンドリュース空軍基地のレーダーが捕捉していた。
2度目の事件のときには、ワシントンナショナル空港のレーダー管制室には報道関係者が押しかけており、空軍UFO調査プロジェクト・ブルーブック広報官アル・チョップ、ブルーブック・ワシントン支局フォーネット少佐、海軍のレーダー技術者ホールコム大尉も、レーダースコープ上で戦闘機をからかうようなUFOの行動を目撃していた。
ワシントンUFO事件に関する空軍の記者会見(7月29日)では、サムフォード空軍少将がレーダーが捕捉したUFOは気温逆転層が原因で発生した疑似目標であると発表、混乱は収拾に向かった。朝日新聞もそのように報じている。
しかしこの記者会見の6時間後、問題のUFOが疑似目標でないことを示すかのように、迎撃機を挑発する識別不能目標がミシガン州に出現した。迎撃に上がったF-94戦闘機が捕捉可能範囲内までUFOに接近し、ロックオンすると、UFOは爆発的に加速して戦闘機を置き去りにし、十分距離を引き離すと減速する、という行動を繰り返した。ブルーブック機関長ルッペルト大尉はこのUFOが“気象目標”だという断定に対し、次のように反論している。
「だが気象目標が、たまたまF-94がそれに向かって機首を旋回させている間に180度の変針を行い、かつ機上レーダーにロックオンされ、かつ迎撃機のレーダーレンジのちょうど外側に出て、そこに止まるような精密な速度変化を見せ、かつ迎撃機が帰投するときに減速するという、一連の極めて特異な動きを連続して示す確率は、もし計算できたとすれば、ほとんどゼロに近い値となるだろう」
2002年7月26日は、ワシントンUFO事件のちょうど50年目にあたるが、この日、同じワシントンD.C.の飛行制限空域の低空を侵入する識別不能目標が出現し、アンドリュース空軍基地から2機のF-16戦闘機がスクランブル発進するという事件が発生した。まるで、50周年記念を祝うために戻ってきたかのような事件である。
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