今でも公式に識別不能事例とされている初期のレーダーUFO事例に、1948
年10月15日午後11時頃、日本の福岡付近を飛行していたF-61が正体不明の
物体を迎撃した事例がある。公式ファイルは非常に長いので、ここでは重
要な点だけを詳しく述べることにする。F-61(パイロットとレーダー操作
員が搭乗)はその物体に6回接近を試みたが、機上レーダーでは繰り返し目
標が捕捉されていた。レーダー操作員が目標を捕捉するたびに、パイロッ
トは接近しようとしたが、正体不明の物体は急加速しレーダー捕捉範囲外
に飛び去った。
「レーダー操作員によれば、3回目の捕捉の時、レーダー目標は通常の航
空機と同様のものだったが、物体は7マイルを約12秒で移動した。これは
時速1,200マイルに相当する」
公式事例ファイルによれば、別の捕捉時の様子を次のように書いてい
る。
「F-61が12,000フィート以内に接近した際、目標は180度ターンを行い、
F-61の下方に急降下した」
「F-61は目標を追って急降下を行ったが、引き離されてしまった」
その報告には不明物体について次のように書かれている。
「(不明物体は)レーダー捕捉範囲外に容易に飛び出すことができた」
そしてさらに次のようにも述べている。
「この飛行物体はいつもF-61の位置を認識しているようだった」
F-61の乗員、オリバー・ヘンフィル中尉(パイロット)とバートン・ホルタ
ー少尉(レーダー操作員)はその報告では次のように述べている。
「優れた特性および知性をもっており、よく訓練された観察者のようだっ
た」
ヘンフィル中尉はヨーロッパ戦線での戦闘経験から、「この目標と比較
しうる航空機はドイツのロケット戦闘機Me163しかない」と述べている。
乗員たちは6回迎撃を試みたが、2個以上の不明物体が存在したかもしれ
ないと感じた。ヘンフィルは最初の迎撃について「目標は爆発的に加速し
て急降下したため、どんどん引き離されてしまった」と述べている。
このとき真正面から迎撃したが、その後、ヘンフィル中尉はシャンデル
を行い、高度を最初のの6,000フィートに戻した。そして再度迎撃を試みた。
「しかし、その飛行物体は、我々をあっという間に引き離した。私は3番
目の目標を目視で見つけた」
この事例ファイルに含まれている、ヘンフィル中尉の署名入りの声明文は
続く。
「満月で明るい雲を背景に、目標のシルエットがはっきりと見えた。この
とき、それがどんなタイプの航空機でもないことがわかった。それで私はす
ぐに地上の管制センターに連絡した……」
管制センターはヘンフィル中尉に、その空域には他に航空機は飛行してい
ないことを知らせてきた。ヘンフィル中尉の声明文はさらに次のように続い
ている。
「4番目の目標は機の上方を後方から機首に向かって、自機の速度時速200マ
イルの約2倍の速度でまっすぐ通過していった。私は通り過ぎていく飛行物
体を目撃したが、ごく短時間で、通過しているのがわかっただけだった。5
番目と6番目の目標にはレーダーで追跡したが、すぐに高速でレーダー捕捉
域から飛び去ってしまった」(各迎撃目標が別々の物体であったようなあい
まいな記述に注意)
ファイルには、その物体が月に照らされた雲を背景にしたときのシルエッ
トのスケッチが含まれている。それは戦闘機程度の大きさだったと推測され
ているが、主翼や尾翼も見られなかった。弾丸のような形をしており、後部
に行くにしたがって先細りになっているが、その先端はスパッと垂直に切り
落とされたような形をしていた。“黒っぽい、光沢のない表面”のようだっ
た。
考察
地上のレーダーサイトはF-61を断続的に捕捉していたが、この不明目標を
捕捉できなかった。報告には“グランドクラッタ”の影響かもしれないと書
かれている。乗員たちは、“短くて太く、はっきりした輪郭をもった”この
物体には排気炎も軌跡も見えなかったと語っている。6回の迎撃の総時間は
10分とされている。我々がここで扱っているのは、異常な物体がレーダーで
捕捉され、それが目視によって裏付けられている多くの事例のうちの一つで
ある。この事例が識別不能事例に分類されたのは驚くべきことではない。し
かし、同様の事例が他にも多数記録されているのに、UFOは、徹底的な調査を
要する科学的に興味深い問題とされず、ずっと無視され続けているのは、驚
くべきことである。
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