もう1件、航空機からの目撃例で調査する価値があると思われるものに、
1950年4月27日夕方、TWA DC-3機の乗員および乗客が目撃したものがある。
パイロットのロバート・アーディケス機長と副操縦士のロバート・F.
マニングにインタビューし、初めてキーホーが雑誌記事に詳しく書いた
主要な点をすべて確認した。
DC-3は約2000フィート上空をシカゴに向けて
飛行していた。そして午後8時25分頃、マニング副操縦士は右側後部、機体
背後のかなり近い位置に、次第に大きくなる赤い物体を発見した。彼はそ
の夜遅く、宿泊したシカゴホテルで書きとめたメモのコピーを私に送って
きた。以下に引用する。
「濃い赤色をした昇る月に似ており、比較的低速で我々のほうに近づいて
くるようだった。約2分間その動きを観察して、物体の正体を見極めようと
した。それからアーディケス機長に知らせ、彼の考えを聞いた。機長はス
チュワーデスのグロリア・ヘンショーを呼び、物体を確認させた。その時点
で物体は相対方位約100度、我々の機体のすこし下方にあり、半マイルほど
離れて我々の機に対して一定の位置を保っているようであった」
マニングの説明によれば、アーディケス機長は、スチュワーデスに客室に
戻って乗客に注意を促すよう指示し、DC-3を右に機を右にバンクして未知
の物体に接近しようとした。マニング副操縦士は1950年4月27日の報告で
さらにこう語っている。
「我々が方向を変えると、物体はわずかに北西方向つまりサウスベンドの
空港の方に変針したようだった。そして速度を上げて降下し、数分で
姿を消してしまった……」
考察
2人のTWAのパイロットにインタビューしたところ、彼らが思い出した
物体の形状には違う点があったが、二人ともそれが飛行機ではないことに
ついては確信をもっていた。また、二人とも物体が赤く輝いていたことや、
高速で離脱したことを強調している。マニングはそのようなものはこれまで
に一度も見たことがないと語っている。また、私は最近航空会社からのUFO
の報告が減っている点について質問したところ、彼は、パイロットが報告す
ることを躊躇しているのが主な原因だと述べている。
また、アーディケスは、私が質問した多くのパイロットたちと同じく、航
空会社がそうした報告を規則で禁止しているようなことは聞いたことがない
と語った。
私はアーディケスに、この目撃の公式説明として「雲に映った溶鉱炉の影」
と書かれている文献があることを教えた。彼はまったく問題外だと述べた。
ここで注意しなければならないのは、他のパイロットの目撃事例と同じく
、視線が下方に向いていたことで、識別不能目標の距離がかなり制限される
ことである。そういうケースでは、流星説はほぼ自動的に除外される。ゴー
シェンのケースにはどんな気象学的、天文学的、光学的説明も該当しない。
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