初期の航空機からの目撃事例でもうひとつ有名なものに,イースタン航空
のチルス−ホイッテッド事例がある。
午前2時45分、ヒューストンからアトランタへ向けて飛行中のイースタン
航空DC-3が、モントゴメリー付近高度約5,000フィートを飛行していた。
パイロットのクラレンス・S.チルス機長と副操縦士のジョン・B.ホイ
ッテッドは、現在イースタン航空でジェット機を操縦しているが、当時す
でに彼らはベテランのパイロットだった(当時チルスの飛行時間は
8,500時間あり、両者とも戦時中に軍事飛行任務についていた)。
この事例に含まれる数多くの重要な点をクロスチェックするために、今年、
チルスとホイッテッドにインタビューを行ったが、スペースの都合上、そ
のすべてをここで詳しく紹介できない。
チルスは、調べようとしていたスコールからその物体が現れたと述べた。
彼らは光が移動しているのに気づいたが、最初それをジェット機だと思っ
た。ジェット機の排気が何かの加減でそう見えたのだと思ったのである。
その物体は機とほぼ同じ高度をまっすぐ機に向かって飛んできて、右主翼
をかすめて通り過ぎた。そのときの距離については両者の意見は食い違っ
ていて、一人は1,000フィート以下だったと感じ、もう一人はその数倍だっ
たと述べている。しかし両者の意見は、当時も1968年に私が行ったインタ
ビューの時にも、その物体が何らかの人工飛翔体だったという点では一致
している。主翼も尾翼も見当たらなかったが、2列に並んだ窓あるいは開口
部のようなものから“マグネシウムの燃焼のような”明るい光が見えてい
たのを、二人ともはっきり記憶していた。その物体にはとがった“機首”
があり、物体の下部は機首から後部まで青く輝いていた。後端からは、赤
みがかったオレンジ色の排気または航跡が出ていた。その長さは物体とほ
ぼ同じだった。物体の大きさはB-29とほぼ同じ、太さは約2倍ということで
両者の意見は一致していた。もちろん実際の距離がはっきりしないので、
これは推定である。DC-3がその物体の航跡により影響を受けたかどうかに
ついては、記録でも彼らの記憶でもはっきりしない。物体が機の右側に近
づくにつれて、チルスがとっさに左に旋回させたので、影響があったとし
てもわからなかったのかもしれない。
物体が機尾を通り越して突然上昇するのを両者が目撃しているが、右側に
いたホイッテッドだけが、短いが急速な上昇のあとでその物体が消えたの
を目撃した。ホイッテッドは、「消えた」というのは、消失したという意
味だと私にはっきり述べた。以前の聴取では明らかに、「上空に向かって
飛行し、見えなくなった」あるいは上空の雲の中に消えた、というように
説明している。しかし、ホイッテッドはそうではないと述べた。その物体
は急激な上昇の後、一瞬にして消えたという(このような突然の消失は他
の事例でも見られる。私にはまったく説明ができない)。
考察
この事例は数年に渡って議論の的となっているが、そうなるのも当然であ
る。
メンゼルは、当初この物体は「蜃気楼」だと主張していたが、そのような
非現実的説明を行った根拠を提示していなかった。
パイロットたちの視線の方向が大きく変化していること、物体の構造がわ
かるような光源がなかったこと、物体が急上昇したこと、また高々度で飛
行していたことなどは、この事例をそのような適当な説明で片づけること
に対する明白な反証となる。
メンゼルは2冊目の本の中で、目撃者は流星を見たのだと説明を変えてい
る。だが、火球が5,000フィートの雲の下を水平に移動し、窓のように見え
た二列の光を放ち、最後に非弾道運動的な垂直上昇を行ったとするならば、
とてつもなく異常な火球ということになる。
メンゼルの1963年の説明はさらに納得のいかないものだ。イースタン航空
のパイロットたちは水瓶座流星群の流星雨を見たのだとほのめかしている。
すでに別のところで指摘したが、この流星群の放射点は正体不明の物体が
最初に目撃された位置から90度以上も離れている。さらに、まれに例外は
あるものの、流星群では大きな火球が見られることはない。
メンゼルの1963年の書籍が出版されたのを受けて、最近、公式筋の説明が
“識別不能”から“流星”に変えられた。
翼がなく、葉巻型、または“ロケット型”の物体(真っ赤に燃えるような
航跡を残す場合もある)についての報告は他にもある。
ジャック・パケット空軍大尉は1946年8月1日、タンパ市上空4,000フィー
ト付近をC-47で飛行中、「細長いシリンダーのような形で、長さはB-29の
約2倍、明るい窓のある物体」を発見した。その物体は彼の機に接近し、
物体の後部からは火柱が吹き出ていたという。パケット大尉は副操縦士の
H.F.グラス中尉と機上整備員もその物体が約100ヤードまで近づき、
そして方向を変えて去っていくのを目撃したと述べた。
これと似たような空中での目撃としては、1956年1月22日夜、トランスワー
ルド航空の機上整備員ロバート・ムエラーがニューオリンズ上空で目撃し
た事例が記録されている。
さらにもう一つ同様な目撃例としては以下で述べるアメリカン航空の例(ス
ペリーのケース)がある。また、太平洋のトラック諸島上空で1953年2月6日
の日中、気象担当将校が翼も尾翼もない弾丸のような形をした物体を目撃
した例がある。
最後に、チルスとホイッテッド(イースタン航空のパイロット)の目撃から
1時間以内にも目撃事件が発生している。ジョージア州のロビンス空軍基地
の地上要員がロケットのような物体が上空を西の方に飛んでいくのを目撃したのである。この種の目撃例はどれも気象学的にも天文学的にも説明がつかないものば
かりである。
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