あの有名な自家機パイロット、ケネス・アーノルドによるレイニア山の目
撃事件からわずか数日後に、ユナイテッド航空DC-3の乗員が、ボイシから
離陸してすぐに、翼の無い円盤の編隊2群を目撃した。
私はそのパイロット、エミル・J.スミスを探しだしてインタビューを行
った。彼は現在はユナイテッド航空のニューヨークオフィスに勤務してい
る。彼は過去の記事が正確であることを認めている。
UA105便は午後9時4分にボイシを離陸した。約8分後、シアトル行きの航空
路上、アイダホ州エメット上空で、副操縦士のスティーブンスは編隊で飛
行する物体群を発見した。彼は航空機だと思い、着陸灯を点灯した。
日没後の夕暮れのなかよく観察すると、スミスとスティーブンスは前方の
5つの物体には主翼も尾翼もついていないことに気づいた。彼らはスチュ
ワーデスを呼び、しばらくの間、編隊を観察した。地上から確認してもら
うためにオレゴン州オンタリオのCAAを呼び出した。その後、物体は高
速で西に向かって飛び去り、見えなくなった。
スミスは、当時錯覚の原因となるような雲はなく、通常の航空機ではない
と確信するのに十分な時間、観察したことを強調した。物体は「底部は平らで、上部は丸かった」ようだと述べ、はっきりしたことはわからないが、上部には何か凸凹があったようだと付け加えた。彼らは5個の物体を見失ったほとんど直後に、2つ目の4個編隊(3機は一列で、4機目は横に離れていた)が彼らの前方に進入してきた。物体群
はDC-3の高度8,000フィートよりもやや高い高度を西に飛行していた。当
時の航空機の速度よりはるかに速い速度で視界外に消えた。
スミスによれば、物体のサイズや距離は不明だが、通常の航空機よりかな
り大きいようだったという。br
目撃の数日前、「空飛ぶ円盤」のニュース記事が初めて世に現れたが、ス
ミスは気にもとめていなかった。しかし、9個の翼のない高速飛行物体を
目撃して以来、この問題に非常に興味を持つようになった。
だが彼は、私と話しているときには、この現象の本質や起源について推測
しようとはしなかった。スミスと古くからの知り合いのユナイテッド航空
職員と話したが、彼は信頼できる人物だと保証した。
考察
1947年7月4日のユナイテッド航空事例は歴史的重要性を持つ。新聞では
1947年7月4日にはその他に85ものUFO報告が掲載されたが、明らかに信
頼性がもっとも高いからである(参照8を見よ)。定期旅客機の乗員によ
るUFO報告の中で最も興味深い事例だとは言えないにしても、重要な事
例であることは確かだ。事件当時快晴であり、観測時間が推定10〜12分間
にも及ぶこと、航空機に詳しい2人のベテラン乗員を含む複数の目撃者が
いること、そして、1000フィート以上高度を変更(急上昇)したこと、9個
の物体が水平より上の位置ではっきり目撃されたという事実を合わせて考
えると、光学的現象であるというその場しのぎの説明は完全に除外される。
この事例は公式に識別不能事例としてリストに記載されている。
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