1952年(昭和27年)7月にワシントンでレーダー肉眼UFO捕捉事件が発生して1週間後の1952年8月5,6日、日本の首都東京でも同様の事件が発生しました。ワシントンの事例と同様、レーダーおよび肉眼で観測され、戦闘機がスクランブル発進しましたが、UFOはロックオンを回避して飛び去りました(事件の概要は下を参照)。
当時、米極東空軍内ではこの事例は重視され、詳細な情報が空軍のUFO調査機関に送られていました(結論は“識別不能”)。その後のコンドン報告は、この事例をカペラの誤認および異常伝播によるものと説明しましたが、それに対し、気象学者ジェームス・マクドナルドが、その可能性はありえないことを論証し、強くコンドン委員会を批判しています。
アメリカ空軍の報告にはこの事例に関する情報があるのですが、残念ながら、日本側の情報が見つかりません。お心あたりのある方は(間接的にでも)、ぜひ情報提供をお願いします。
1952年(昭和27年)8月6日午前2時から6時まで月食だったので、天体観測をしていた人はかなりいたはずで、0時前後の出来事を目撃している可能性が非常に高いと考えています。
朝日新聞紙面では本社屋上から午前4時10分に撮影した月食の写真を掲載していますが、この事件に関する情報はありませんでした。当時の新聞は朝刊4ページ夕刊2ページなので、掲載するスペースがなかったからかもしれません。
米空軍の報告によれば、羽田の管制塔と、立川空軍基地で、問題のUFOが目撃されています。立川から目撃されているのであれば、三鷹の天文台からも目撃できたと思います。
当時、朝鮮戦争の真っ直中で、他にどのようなニュースがあったかというと血のメーデー事件、水爆実験成功、ヘルシンキ(フィンランド)五輪、お祭マンボ(美空ひばり)がヒット等です。
問題の光体を目撃した、という情報だけでなく、そのとき夜空を見ていたのに、目撃しなかった、という情報も重要になりますので、ぜひご連絡ください。あるいは新聞や雑誌などで取り上げられていたのを見たことがあるという情報もお待ちしております。
なお、6日には別のUFO事例が東京で起きていたことがブルーブックファイルに記録されています。この事例ファイルは紛失しており、詳細は不明ですが、結論は“識別不能”となっています。
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