レイクンヒース基地管制官からの手紙

レイクンヒース米空軍基地RATCC(レーダー航空路管制センター)管制官の証言
Forrest D. Parkinsがコンドン委員会に送ったもの


 

 あなた方のUFO研究の参考になればと思い,この手紙を差し上げます.
 おそらくこの事例については,あなたがたのファイルにも収録されているでしょうが,もしかしたらそうでないかもしれませんので,簡単に概略をお知らせしたいと思います.さらに詳細をお知りになりたいのであれば,協力しますのでご連絡ください.

 私は20年間合衆国空軍におりました.私の身分を確かめる必要があるかもしれませんので,このページの上部に,姓名,階級,認識番号を明記しておきます.
 私は現役期間を通じて航空路管制の任務についており,退役までの16年間はレーダーを用いて航空路管制を行っていました.必要ならば,その間,どこでどのようなタイプのレーダーを扱ってきたか,その一覧表を作成してお送りします.

 私はこれまでこの出来事について口外したことはありません.これは機密に関わる問題だと考えていたからです.しかし,あなた方は政府機関の関係者なので詳細をお伝えしても差し支えないと判断しました.

 正確な日付は記憶していませんが,1956年の1月から9月にかけてのある日,私はレイクンヒース基地のレーダー航空路管制センター(RATCC)で当直の管制官として任務についておりました.午後5時から深夜0時までの当直組には,4〜5名の管制官が私の部下として配員されておりました.
 私が主任用調整デスクに座っていると,直通電話がかかってきました.それはスカルソープ基地のGCAレーダーからでした.
 スカルソープ基地のレーダー操作員が,レイクンヒース基地のスコープにも,時速4000マイルで移動する目標が捕捉されていないか,問い合わせてきたのです.
 彼らが言うには,スカルソープ基地のレーダースコープ上に,同レーダー基地の東方30〜40マイルの地点から西方40マイルの地点に向かって移動した1目標を捕捉していた,ということでした.
 この目標は,イギリス空軍スカルソープ基地(アメリカ空軍の基地でもあります)の真上を一直線に通過していったということでした.彼の話では,管制塔からその目標が通過するのが目撃されたと報告されており,ぼやけた燈火のようだったということでした.
 また,同基地上空高度5000フィートを飛行中のC-47輸送機からも,ぼやけた燈火のように見える目標が同機の下方を通過したと報告されていました.目標と飛行機の間の正確な距離についての報告はありませんでした.
 すぐに私は管制官全員に各レーダースコープの走査を始めさせました.各スコープに,基地から半径10〜200マイルの範囲のさまざまな距離を割り当てました.
 この時点では,まだ私はこの報告について懐疑的だったので,誰にも電話で連絡しませんでした.
 私たちはレーダーのMTI(地上反射などの静止目標を消去する)装置をフルに使用しました.各スコープにはほとんど何も映っていなかったと思います.
 しかし,管制官の一人が,スコープ上で南西20〜25マイルの位置に静止目標があるのに気づきました.これは異常なことでした.なぜかというと,少なくとも40〜45ノット以上の速度で移動しなければ,静止または低速目標はすべてスコープ上では消去されるはずだからです.しかし,私たちはこの目標の動きをまったく見いだせませんでした.
 私たちはその目標をすべての異なるスコープ上で数分間観測してから,GCAレーダーでもその目標をスコープ上に捕捉しているかどうか電話で確認してみました.すると,彼らも同じ位置に問題の目標があることを確認したのです.
 私たちが観測を続けていると,静止目標は北北東に向かって毎時400〜600マイルの速度で動き始め,レイクンヒース基地の北北西約20マイルの位置で停止しました.目標が動き始めるときは,ゆっくりスタートし加速していくというものではなく,移動を開始した瞬間から,停止する瞬間までずっと同じ速度でした.

 私は,ロンドンの第7航空師団司令部に連絡し,最初にスカルソープのGCAから寄せられた報告を含めてすべての事実を報告しました.彼らは第3空軍司令部に連絡し,こちらからも交換機を接続しました.私はさらにこの基地の司令官および私の所属部隊(空軍通信部隊)の司令官にも交換機を通じて連絡しました.他の管制官たちも,同様に別の部局に連絡していました.
 私たちはこれらの連絡先に,これまで得られたすべての事実を繰り返し伝えました.さらにその後の目標の動きや位置を詳しく報告し続けました.
 問題の目標は何回も位置を変えましたが,移動は常に一直線で,時速約600マイルの速度でした.ある静止位置から次の停止位置まで,いつも同じ速度で移動し,まったく増速や減速をすることはありませんでした.
 そのときに移動する距離は8マイルから20マイルまでさまざまで,いつも違ったパターンを示しました.静止している時間も,3〜4分から5〜6分と,さまざまでした(私は電話で相談した人々が述べた理論や推測を聞き,質問に答えるのに忙しかったので,もっと長い時間だったかもしれません).このような状況がしばらく続きました.
 そして,30〜45分たってから,2機のイギリス空軍迎撃機を調査のために緊急発進させることが決定されました.この決定は第3空軍がイギリス空軍に電話し,何が起こったのかを問い合わせてからなされたのだと思います.まず,1番機が発進しました(2番機は後で述べますが,その後で発進することになります).

 迎撃機はロンドン近くのイギリス空軍基地を離陸し,レイクンヒース基地に南西から接近しました.イギリス空軍迎撃機と無線連絡がつき,レーダーで捕捉できたのは,同機が南西約30〜35マイルの地点をレイクンヒース基地に向かって飛んでいるときでした.
 最初に私たちは迎撃機のパイロットに,問題のUFOについて得られている全情報を伝え,レイクンヒース基地から迎撃機までの距離と方位,基地からUFO(この時点で静止していた)までの距離と方位も伝えました.
 私たちは「UFOの高度について正確なところはわからないが,レーダー(確かCPS-5)の作動特性から,現在は15000フィート以上,20000フィート以下の高度だと推測される」とパイロットに説明しました.また,「スカルソープ基地上空を飛ぶC-47型機が下方を通過する光を報告している」という情報が入っていることも伝え,同機の高度は5000フィートだったことも話しました.

 私たちは迎撃機をUFOに誘導するために,パイロットに進路を伝えました.UFOの方は静止し続けていました.迎撃機の誘導はその後も続けられ,ほぼ1〜2マイル接近するごとに,同機がUFOに接近する進路と,UFOから同機までの距離を,ずっと伝え続けていました.
 私たちは迎撃機に,UFOの位置が迎撃機の12時方向,距離0.5マイルであることを伝えてから,しばらくしてパイロットは次のように言いました.
「了解,レイクンヒース.今目標を“ガンロック”した」
 そして少し間をおいて彼は言いました.
「やつはどこにいったんだ? そちらではまだやつを捕捉しているか?」
 私たちは応答しました.
「了解.やつは君の後にまわった.まだそこにいる」
 今,2つの目標がスコープ上にありました.一つはもう一つの目標の背後にあり,同じ速度で移動していました.2つの目標は非常に接近した位置にありましたが,分離して観測できるだけの距離は開いていました.

 UFOが最初に見せた迎撃機の後に回り込む機動が非常に速かったので,私自身はそれを見損ねましたが,他の管制官たちはそれを見ていました.UFOが後にまわりこんだという事実は迎撃機のパイロットによって確認されました.そしてパイロットは,UFOを振り切ってみる,もう一度やってみると伝えてきました.彼はあらゆること──急上昇,急降下,旋回などを試みました.しかし,UFOはまるで迎撃機の後にくっついた光のように,ずっと至近距離でしかも一定の距離を保っていました.私たちははっきりと2つの目標を捕捉し続けていました.
 アンテナからUFOおよび戦闘機までの距離(ずっとレイクンヒース基地の南の方角で,だいたい10〜30マイルの間でした)でのレーダーの分解能から考えて,戦闘機とUFOの間の距離はおそらく200から600フィートの間だと思います.それより近づくと,2つの目標を区別できず,一つの目標として捉えてしまいます.たいていのレーダーの仕様書では分解能は最小500フィートと書かれていますが,200から600フィートの間で変わり得るというのが現実に近いと思います.付け加えると,装置の調整状況や大気条件なども,この計算に関係してきます.

 迎撃機のパイロットは約10分間にわたり,UFOを振り切る試みを続けていました(10分というのはおおよその時間ですが,パイロットや私たちにはもっと長く感じられました).
 彼はときどき状況を伝えてきましたが,その声の調子から,彼が次第にいらいらし,興奮しており,かなりおびえているのもわかりました.
 彼は最後にこう言いました.
「レイクンヒース,燃料が少なくなってきたので,これから基地に引き返す.やつが私の後についてきているか教えてほしい」
 問題の目標(UFO)は同機が南南西に進路をとると,短い距離をついてきただけで停止し,静止状態になりました.私たちは迎撃機に,UFOが迎撃機を追跡するのをやめ,レイクンヒース基地の南方約10マイルの位置で静止していることを伝えました.
 彼がそのことを了解した直後に,2番機が同一周波数で私たちに呼びかけてきました.私たちはこれに応答し,同機をレーダーで捉えてから指示を与える,と伝えました(この時点では2番機はレーダーに捕捉されていませんでした.おそらくまだ離陸したばかりで高度が低かったからでしょう.あるいは,位置が遠すぎたからかもしれません.というのも,近くにいるUFOをはっきり捉えるために,私たちはほとんどのレーダースコープを近距離表示にしていたからです).
 2番機は1番機のパイロットの名前で呼びかけました(トムとかフランクとかいった名前でした).
「何を見たんだ?」
 1番機は答えました.
「何かを見たんだよ.でも,恐ろしくて,やつが何だったのか知りたくもない」
 2番機が言いました.
「いったい何が起こったんだ?」
 1番機が答えました.
「やつに後をとられてしまったんだ.俺はあらゆることをやってやつの後に回り込もうとしたが,できなかったよ.あんな恐ろしいやつは初めてだ」
 このとき,1番機は,「相手が何なのかはわからないが,数秒間レーダーでロックオンしたのだから,固体の何かがそこにあったのは間違いない」と2番機に話しました.
 そのあと1番機は,彼の基地の使用周波数に切り換えました.
 私たちは2番機に問題のUFOの位置を教え,こちらからはまだ2番機をレーダーで捕捉していないが,もうすぐ捕捉できるはずだ,と伝えました.
 すると2番機から数秒間応答がなくなり,その後で結局次のように言いました.
「レイクンヒース基地,こちら2番機(実際は同機の識別コールサインでしたが,どのようなものだったかは忘れました).これより帰投する.エンジンが故障した」
 その後,彼は私たちの使用周波数から離れました.

 この迎撃の全過程を通し,私たちは第7航空師団や第3空軍その他と回線を接続した状態を維持し,すべての場面でアドバイスを与え,必要なことはすべて話しました.

 そして私たちは彼らにどのような行動をとろうとしているのか尋ねました.彼らは結局,私たちに,スコープ上の目標を監視し続け,何か起こったら教えてほしいと頼みましたが,それ以上のことはこちらに伝えてきませんでした.
 問題の目標は,2度ほど短距離の移動を繰り返したのち,北方に向かって毎時600マイルの速度で私たちのレーダーレンジの外へ出ました.私たちが目標を捕捉できなくなったのは,北方約50〜60マイルでした.これは,航空機すなわち目標が5000フィート以下の高度を飛行しているときに,通常捕捉できなくなる距離です(この型のレーダーの輻射ローブのためです).
 第7航空師団司令部は各方面に連絡すると言いました.

 私は,基地の担当将校たちのためにこれらの出来事を詳細に書いた報告書をまとめ上げました.将校の一人は私に,後で連絡してさらに詳しい話を聞くかもしれないが,この件については任せておくようにと言いました.
 私は,この問題に関するCERVIS報告が提出されたのかどうかは知りません.私はそれについて何も聞いていません.

 この手紙で述べた速度は,時間とレーダー上での距離から計算したものです.この速度は,その日の晩に何度も計算されており,少し時間が経っていますが,基本的なデータは正確です.

(訳注:ここで管制官が述べているスカルソープ基地は、ベントウォーターズ基地の間違いである)

 

 

レイクンヒース事件に関する最も詳細な分析はレーダー捕捉UFO事例の研究に記載されている。


SSPCのUFO書籍・資料
「レーダー捕捉UFO事例の研究」 「未確認飛行物体に関する報告」 「コンドン報告第1巻」
「ブルーブックケースファイル」 「米下院UFOシンポジウム」 「コンドン報告第3巻」
「全米UFO論争史」 「ヨーロッパのUFO」


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