1.最初の調査活動:プロジェクトサイン
本章は,1947年6月24日のケネス・アーノルドの目撃事件から現在に至るまでの,米国において主に認められる,政府と一般大衆のUFO現象への関心の高まりを,歴史的見地から簡明に解説する.有名な過去の出来事を詳細に検討するのではなく,あくまでもこの現象への関心が高まった経緯を示す実例として,それらの出来事を簡潔に解説するのが目的である.
ケネス・アーノルド目撃事件は,新聞を通じて世界中に知れ渡った.アーノルド目撃事件の最も詳細な説明は,アーノルド自身がサイエンス・フィクションの編集者で作家のレイ・パーマーと共同で執筆・出版した書籍に収録されている(Arnold and Palmer, 1952).
アーノルド目撃事件と,それに伴うUFO目撃報告の嵐が起こったのは,ちょうど陸軍航空隊が米国空軍として再編制され,新設された国防総省の一部になる直前のことである.
陸軍航空隊は,それから最初の数カ月の内に,オハイオ州デイトン近郊のライトパターソン空軍基地に置かれた航空技術情報センター(ATIC)で,注目されるUFO報告の調査を開始している.フライングソーサー(その頃はUFOという言葉はまだなかった)の調査体制確立を目指した最初の正式な働きかけとなったのが,米国陸軍参謀長ネイサン・F.トワイニング中将が陸軍航空隊の司令官に宛てた1947年9月23日付の書簡であった(附録R).この書簡はUFOの調査体制の確立を要請するものであった.その新しい調査活動は,L.C.クレイギー少将が航空資材コマンドの司令官に宛てた1947年12月30日付の書簡で,“プロジェクトサイン”というコードネームが与えられ,2-Aの優先順位が付けられた(附録S).
その頃から,今日見られる考え方の多くがほぼ同時に出始め,一般においても軍においても多くの人々はやや感情的な態度を取り始めていた.UFOは惑星間または恒星間を往来する訪問者であると頭からすぐに信じる人々がいる一方で,UFOは外国勢力の秘密兵器であると考える人々がおり,これに関してはロシアが最も頻繁に取り上げられていた.すべてのUFOはでっち上げ,もしくは通常の現象の単純な誤認と考える傾向がある人々も依然として存在していた.空軍内部には,これを調査対象にするのは馬鹿げており,空軍はこのようなものには一切注意を向けるべきではないと強固に信じる人々がいた.他方ではUFOを極めて真剣に受け止め,米国の領空は外国勢力の秘密兵器に,あるいは可能性として宇宙からの訪問者に侵犯されている恐れがあると信じている人たちもいた.この時期は第二次世界大戦の終結からちょうど2年後にあたる.米国とソ連の困難な外交関係の時代はすでに始まっていた.原子力の国際的管理の実現を目指す交渉が,しばらくの間国際連合で進行していたが,ごくわずかな進展があっただけである.(後略)
未確認飛行物体の科学的研究(コンドン報告)第3巻
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