未確認飛行物体の科学的研究(コンドン報告)第3巻
>第5部第1章 歴史に記されたUFO   サミュエル・ローゼンバーグ


1.序

 コンドン博士は,コロラドプロジェクトの研究の概要を本報告の第2部でまとめているが,その中でUFOを次のように定義している.

     ここでは,未確認飛行物体(UFO=OOFOと発音)とは,一人あるいはそれ以上の人が空中に存在する(あるいは飛行する能力があると思われるが着陸していた)ものを目撃して報告した場合の最初の刺激となったものであり,目撃者がその正体を識別できない……もの,と定義する(強調は筆者SRによる).

 コンドン博士の定義は,古今のすべてのUFO報告に常に認められる,もどかしい不確定的性質を正確に反映している.本章ではこの定義を過去の歴史に適用するが,様々な本や記録から“UFO報告”があまりにも容易に集まるので,目撃者が“確認できなかった”事例をすべて伝えるとなると,本プロジェクトに与えられた紙面がすべて埋まってしまう.
 古代に“UFO”が豊富に存在するのは,その当時の人間の世界観に関する基本的事実に起因している.時を遡ってじっくり見ると即座に明らかになることだが,有史時代(おそらくはそれ以前から)を通じて人類は常にUFOを目にし,“目撃”を報告してきた.だが,有能とされる人たちが精査しても,その目撃は依然として説明できないままであった.我々人類の最初の祖先は,ありとあらゆる現象を目撃しようと地球上と宇宙の空間を熱心に観察したが,実質的には何も理解するには至らなかった.実際,彼の全宇宙,すなわち彼にとっての“外部”と“内部”のどちらも,彼の理解を大きく超えたものであった.最も基礎的な実利的知識を有するにとどまり,自らの目に映ったどんなものも,事実に基づいて説明したり概念的に説明したりすることはまったくできなかった.要するに,彼にとってはすべてがUFOだったのだ.
 とはいえ,彼にとっては,その当時の社会のニーズに対応する上で都合がよいと思われる方法で,見たものを解釈したり,その解釈を役立てたりすることは,どうしても必要なことであった.したがって,古代において,“空に見えた物”に対する対応が社会に及ぼした影響に注意を払うことは,今日のUFO報告に対する反応を検討する上で役立つと考えられる.
 初期の人類がUFOとして目撃したものの中には,太陽,月,月の暈,恒星,星座,銀河,流星,彗星,オーロラ,虹,風,雨,嵐,トルネード,ハリケーン,干ばつがあり,さらには日の出,日没,蜃気楼,燐光,稲光等々が含まれていることを我々は知っている.現代においては,帰納的な科学者らが数多くの自然現象について合理的な説明を与えており,今も残っている未知の現象については,さらに研究が進むまで判断を下すのはしばらく見合わせるようにと求めている.しかし我々人間のせっかちな性質は今でも変わらない.
 特有の自尊心から自らを“ホモサピエンス(賢い人)”と称した種にとって,天上または外界の宇宙に目を転じた時に常に見えた“天国”の光は,初期に目撃されたUFOの中で最も継続的かつ劇的なUFOであったと言えるのかもしれない.それらの光が何であったのか,そしてどんな突拍子もない推測がなされたのか,を知らずとも,人間は動く光の点を,航海や狩猟,あるいは移住の方向を決定する際に利用できたのである.しかし我々の祖先たちは,彼らを取り巻く自然現象のすべてが即座に説明されなければ生きていけなかった.そのため,見たものに対する科学的な説明がなされない中で,彼らは,自らを等しく満足させる他の解釈,すなわち誌的,劇的,超自然的,神話的な解釈,さらにはナンセンスな解釈や喜劇的な解釈すら思いついたのであった.自然の一部である人間は(精神的)空虚をひどく嫌うものである故,どんな説明もまったく何もないよりはましであった.確かに,即興的に考えた仮説や空想物語に基づいて移動方向を決定したのは,基本的な本能に近い生物的属性であったと思われる.
 より正確な答えをせっかちに待ちながら,初期の人類が考え出した直感的なもっともらしい説明の膨大な蓄積物の断片は,詩や劇などの創造性に富む物語を切望する我々の心を今でも満足させ続けている.
 フランシス・トンプソンは「人間は幾千年もの間石鹸がなくても生きてこられたが,詩がなければ決して生きられなかったであろう」と書いた.実に何千年にもわたって,我々人類には,極めて必要な立証可能な真実の代わりに,詩や,寓話や,あらゆる種類の驚くほど創意工夫に富んだ超自然的な空想物語があった.しばらくの間擬似科学が実用的に使われ,その後の実証主義的科学へと繋がり,ある程度周囲の状況をコントロールできるようなっていった.しかし結局のところ,歴史をひもといてみれば,性急で早計な誤った説明は――面白く,創意工夫に富んでいるが――ただ,正常な分析機能の麻痺,新たな研究ではなくドグマの採用,議論の抑圧,意見の相違に対する処罰,さらには度重なる災難へと繋がったにすぎないということが,苦痛を伴って明らかになるのである.
 常に多くの分野には,(通常は秘密裏に)孤立して活動する科学実験者が存在していた.しかしその実験者たちは,政治的に有利な立場にある超自然論者と彼らの“MIFO=誤認飛行物体”に十分対抗できるほどの大きな進歩を成し遂げるには至らなかった.16世紀末になって初めて,科学的手法は,新興の国家主義的権力政治,および西欧の新しい商業的・製造工業的需要によって,大いに望ましく,かつ有益なものとなったのである.
 そこに至るまでの何万年もの間,人間の行為のほとんどは,周囲の現象の呪術的解釈に基づいていた.はるかな昔から,呪術師と占星術師は政治的または軍事的な決定の前に必ず助言を求められ,また処断は呪術的な方式に従ってなされていた.人類の長い歴史においては,ほんの少し前まで,あらゆる自然現象は,神,天使,霊魂,悪魔,妖精,魔女,吸血鬼,悪霊,夢魔,あるいは幸運や不運の兆しであると真面目に信じられていたのである.今日言葉の上で残っているもの,すなわち非常に楽しめるおとぎ話や神話として残存しているものは,かつては極めて真摯に従われていた生死に関わるものであった.今なお残っているいわゆる“原始的”な社会では,世界を呪術的に解釈することがまだ一般的である.今日でもアメリカの新聞のほとんどは呪術的な星占いを載せている.1962年,数百年来初めて主要な惑星のうちの七つが直列したある日,インド政府はその業務がすべて停止した.その狂気の一日が終わると,インド全体が安堵のため息をついたのであった.



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